CP -ONLINE REPORT MEDIA from TOKYO・CREATORS PARK- 東京・クリエイターズパーク

  • YouTube
  • facebook
  • twitter
  • RSS
TOP | NEWS

theatre tokyo / creator's park スペシャルインタビュー

2012.11.06 up
theatre tokyo / creator’s park スペシャルインタビュー
       

Vol. 4
土屋 豊監督 「最大公約数ではない人たち」へ クラウドファンディングからの挑戦


text/photo : 本間順子 (creator’s park)

10月28日に閉幕した第25回東京国際映画祭でインディペンデント映画に焦点を当てる「日本映画・ある視点」作品賞を受賞した『GFP BUNNY タリウム少女のプログラム』は、2005年にタリウムによる母親毒殺未遂事件を起こした「タリウム少女」をモチーフとした、科学に異常な関心を示し、観察、解剖の様子を動画日記としてYoutubeにアップしている16歳の[少女](倉持由香)が主人公のメタフィクション。

東京国際映画祭の会場にて観客の多数決により、来春の公開時のタイトルが『タリウム少女の毒殺日記』に決定したり、
配給宣伝の200万円をmotion galleryのクラウドファンディングで調達中ということも合わせて、観客とともに挑戦していく映画でもあります。

10月22日のワールド・プレミア上映直後の土屋豊監督に、インディペンデント映画の今についてお話を伺いました。


日本版と海外版のタイトルとポスタービジュアルは異なる

遺伝子を組み換えられた緑色に光るウサギを意味する「GFP BUNNY」というのは海外版タイトルで、このポスタービジュアルも海外向けということですが、直前の週に、土屋豊監督が共同代表を務める、映画の多様性を創出する独立映画ネットワーク「独立映画鍋」鍋講座「新しい配給宣伝の方法を企む~公開作戦会議①」では、国内のマジョリティとなる観客層には届きにくいのでは、という意見もありました。
海を超える作品ということを意識されるとき、単に字幕を付ける、ということ以上に、脚本や演出、編集において、海外向けということを意識されるのでしょうか?


それはないですね。やっぱり今自分の置かれている状況、取り巻く世界というのをきちんと素直に捉えることができれば、ある種日本独特のものもあるし、普遍的なものにもなるだろうし。それを中途半端な形で世界に向けて、としてしまうと、そこで違ってきてしまうと思うので、やっぱり海外向けというよりも、いま、この場、というのをきちんと描く=世界にもわかってもらえる人がいるのではないか、ということですね。


海外向けポスタービジュアル
©W-TV OFFICE

「物語なんて、無いよ」―ちょっと日常をぐらっと揺するような、そういうものが与えられたら。

インターネットで映像にアクセスできることがこの映画でも大きな部分を占めていたと思うのですが、こういう時代の中で私たちの想像力が喪われてきているのではないか。そのようなときに映画と私たちの想像力との関係について、日頃意識して、監督が伝えたいと思われていることはありますか?

想像力が喪われている…そうですね、想像力が喪われていますが、それをただ単純に想像力を働かせなさい、と言ったとしても、それは伝わらない、というか、自分自身にそれだけ想像力があるのかよ、ということもあると思うんですよ。
それは前作の『PEEP “TV” SHOW』(2003)でも描いたんですが、あの9.11の攻撃を日本ではビールでも飲みながら、「なんか面白いリアリティショーみたいなのやっているよ」って捉えていた、という映画だったんですが、それをじゃあ、NYのツインタワーでまさに人が死んでいるんだよ、想像しなさい、と言っても伝わらないと思うんですよね。

それは単純に想像力が落ちているんですけれども、それは何だろう、メディアに囲われたこの状況では、ある種仕方のないところがあって、じゃあ、その仕方なさっていうのをもっと自覚しましょうよ、というのは言いたいと思います。
それは、そういう状況に置かれているっていうことをもっともっと自覚することによって、単純に想像力を働かせないとだめだよ、と言うことよりも、本当に働かせられるような状況ではないよねって自覚することでちょっとは見えてくるものというか。それが新しい想像力というか。

この「想像力」というのと、同じく監督の作品である『新しい神様』(1999) でもおそらく「大きな物語」というのは天皇制のことであったり、監督のテーマの中で「大きな物語」というのは一つ大きくあると思っています。今回の映画での「物語なんて無いよ」というのは、監督から私たちに「物語がないから楽になって、物語を探さなくてもいいんだよ」というそういうメッセージでもあるのでしょうか?

まあ、そうとも言えるし、答えになるかどうかわからないですけれど、映画では本当にわかりやすい物語、例えば、3.11以降の映画だったら、まあドキュメンタリーが今のところ多いですけど、わかりやすい物語が多いですよね。ひどいことが起こりました、すごく悲しい出来事でした、しかし、くじけないで希望を持ちましょうみたいな。自分自身は相当リアルにあの震災や津波や原発事故を感じているんですが、あの出来事との距離感を未だに測りかねている人たちもいると思うんですよね。悲しい家族の物語、あるいは家族が復興していく希望の物語というのでは救われない人たちもいると思うんです。

たまたま今3.11の話をしましたけれど、3.11がある前から家族って大事だよね、友情って大事だよね、恋人同士の恋愛ってこういうことだよねっていうことでわかりやすいハッピーエンド、わかりやすい家族の再生の物語みたいなのが割とあったりするんですけれど、この空々しさでは救えない、全部引いて観て、斜めから観て、そんなことあるわけないよ、実際はこうだよ、実際世の中はこうであって、全然救いなんかないんだ、と思っちゃう人たちがたくさんいると思うんです。特にネットの中の若い人たちの印象はそんな感じがするんです。そういう人たちと共感できるようなことをやりたかった部分もあるので、そういう意味では「物語なんかあるわけないじゃん、逆に欲しいくらいだよ」っていう感覚の人たちとこの映画を共有したかったというのがあるので、あえて挑発的にそういう言葉を使ったという側面もあります。

この映画を観たことで、その人たちも救われるというわけではなくて、共感するところで、次のアクションにはまた何らかの仕掛けが必要ということでしょうか?

そうですね、観てもらって共感する、あるいは逆に反感かもしれないけれど、観てもらった人が受け取るだけじゃなしに、じゃあ次、俺はどうすればいいのか、私はどうすればいいのかってことを、ちょっと日常をぐらっと揺するようなそういうものが与えられたら成功だと思うので、映画を受けて癒されたとか、解決したとか、そういうことよりもむしろ逆に心乱されて俺だったらこう思う、こうしたい、という風につながっていきたいと思うんですよね。

「監視・マーケティング社会」の中で、進行する「アイデンティティのキャラクター化」。私たちは「自分で自分をコントロールする視点を手に入れることができる」のか?

バイオテクノロジーによって自分を改変可能なカスタマイズできるプログラムであるということを見つけて、システムから飛び越えられるんだ、とわかったにもかかわらず、GPS付のICチップを埋めてしまうことを選ぶ方法が提示されます。インターネット上などでアクセス可能な情報を他人と共有してしまう、そういうものから解放されたにもかかわらず、結局のところ、また逃れられない枠組みの中に自分を放り込んでしまうことを選ぶのでしょうか?

いえ、それは取りようによっていろいろあると思うんですが、逆にチップを入れることで自由になるんだっていうことを僕の方はイメージをしていたんです。どういう意味かっていうと、自分の意志でそういうチップを入れることによって、自分で自分でコントロールするんだということなんです。システムのコントロールに委ねるのではなく、自分の身体は誰にも占領させないという意思表示です。自分で自分をコントロールするためにそういうテクノロジーを権力やシステム側に渡すのではなくて自分のものとしたいという意味で、自らが選んで入れるんだ、と。入れられるんではなくて、国民総背番号制じゃないけれど、番号を振られて管理されるのではなくて、自分自身が選んだコードになるんだ、ということを敢えて言いたかったのです。自分で自分をコントロールして監視するために、自らチップを入れるっていう新しい思考実験が今後どうなるかってことは、本当に近未来の想像力の世界ですけれど、そういう仕掛けを映画の最後に入れることで、科学技術というものを逆転させて自分たちの手で使えるようにしていく、ということを伝えたかったですね。


©W-TV OFFICE

日本発の映画に特化したクラウドファンディングの先駆けとして

モーションギャラリーのクラウドファンディングのサイトでこのプロジェクトについて「『GFP BUNNY』には、家族や恋人や愛や癒しの物語はありません。ただ、そういう『物語』では決して救われない人たちと共鳴し合える映画も絶対必要だと、私は思っています。そういう映画を最大公約数ではない人たちに届けることが出来たら、このプロジェクトは成功です。」とありますが、普段監督はどのような映画をご覧になられているのですか?

若い頃は相当な数の作品を観ましたが、最近はあまり観てなくて、今、それをちょっと反省していて、観るなら映画館でちゃんと観ようと思って、知り合いがやっている作品や興味がある作品をDVDではなくてちゃんと映画館で観るようにしています。
普段発言していることとすごい矛盾するんですけれど、すごく疲れてもう何にも考えたくない時は、『男はつらいよ』とか『釣りバカ日誌』をDVDで観たりもしています(笑)。
だけども、やっぱり僕が観て人生変わった、すごい!って思ったのって、独特な世界観がある映画というか、そういうのが好きだったりしたので、例えば、ハーモニー・コリンとか僕大好きなんですけれど。若い頃で言ったら、ジム・ジャームッシュの映画を観て自分の生き方にすごく影響を与えられたりとか、そういうことがあったので、いわゆるわかりやすい物語ではない世界観を見せてもらって、こういう角度から世界を捉えてもいいんだっていうことを示してくれた映画を観てきたから自分もそういうものをつくっていきたいな、というのがありますね。

この作品は宣伝配給費をクラウドファンディングによって調達するという試みを行っていますが、クラウドファンディングについては日本ではようやく知名度が定着してきたかな、と思われますが、現在どのような反響があるのでしょうか?

今のところまだそんなに大きな反響はないというか、クラウドファンディングはあちこちでやっていて、今仰ったように「クラウドファンディング」というシステムがあるんだ、というのはみんなに伝わりつつあると思うんですが、実際のところはどうなんだろう?ということで、8月に「独立映画鍋」でクラウドファンディングについての勉強会を開いたんです。
基本的には不特定多数の多くの人が全然知らない映画にお金をポンっと出してくれるというのは本当に珍しいケースで、基本はアメリカのキックスターターインディゴーゴーも、ほとんど知り合いだと。7、8割はもう顔見知りだってことをその勉強会で知りました。

それは日本の選挙運動と同じで、地元で宣伝するとか、親戚の間で誰々さんに入学のお祝いをもらったから、今度は返さなければいけないとかそういうムラ社会的な、SNSの中での友達同士の持ちつ持たれつ感というのを徹底してやる、ということでどんどん寄付が増えていくというのが大きいらしいです。あとの3割、2割のところでお金持ちが出してくれるケースもある、という。今のところ、僕のは200万円の金額設定で、まだ40万円程度しか集まっていないので、これから必死でアピールしようと思ってます。全然知らない人もサポートしてくださっていますが、知っている人の方がやはり多いですね。

そういう実例がアメリカにある中で、何か日本なりの仕掛けを考えられたりしているのですか?

独立映画鍋に関しては、2014年の春頃を目途に認定NPO化を目指しています。どういうことかと言うと、2011年に寄付税制が改正されて、認定NPOに寄付した人はその金額の約半分を税額控除できるようになったんです。それで、その認定NPOになる為のハードルもNPO法の改正によってかなり低くなりました。つまり、独立映画鍋のプロジェクトに寄付した人は、その寄付金の半分が戻ってくると。なので、独立映画鍋が寄付の窓口になることができれば、プロジェクトの企画者にも寄付者にもメリットを与えられるんじゃないかと思っています。まぁ、アメリカの場合は、初めから家計に今年の寄付金はいくらにしよう?ということが組み込まれているということなので、寄付文化の差はかなり大きいんですが、独立映画鍋が認定NPOが運営する映画に特化したファンディングサイトになれれば、かなりオリジナリティはあるかと思います。

監督は一貫して、「VIDEO ACT!」や「独立映画鍋」など、自主製作映画の製作や流通と社会との橋渡しの場をつくってこられたと思います。特に独立映画鍋では、政策提言をしていくということですが、自主映画業界の中で分散した活動が、ある段階ではある程度まとまった動きが必要となってくると思うのですが、今はどのような状況にあるのでしょうか?

現状でも監督やプロデューサーだけでなく映画祭をやっている人や配給に関わっている人が集まっているんですが、もっと多様な人たちを巻き込みたいと思っています。その上で、今の全体の状況はこうだから、これを改善するためにはこういう方法があるのではないかということを提言したいと思っています。貧乏なインディペンデント作家を助けてくれということだけではなく、映画業界全体で映画の多様性を創出する為には何が必要なのかということを、大手メジャーの人たちとも連携を取りながら提言できたら素晴らしいと思います。そのために、今の映画業界の実態調査をやりたいということをメンバー内で話し合っています。

かつてアニメ業界の実態調査が行われて、最底辺のアニメーターはこんな状況なのだ、ということが顕在化されたんですが、日本の映画業界の実態調査というのはまだやられていないので、そういうことをやりたいなと思っています。
そういう意味で、映画に関わるいろんな立場の人がその立場が抱えている問題を全体で情報共有しながら話し合える場をつくる、というところからまずは、始めたいと思っています。

これから若い人たちも含めて情報共有されて、全て情報発信を独立鍋からされていくのでしょうか?

まあとにかくいろんな人たちに参加してもらいたいですね。きちんと提言して行く作業を10年から15年くらいのスパンで考えてまして、最終的には15年後くらいに少しは状況が変わっているようにはしたいね、ということで。

今一つ映画が終わられて、配給宣伝がこれから大変だと思うのですが、次回作というイメージはすでにお有りですか?

いくつかありますが、やっぱり宣伝が落ち着かないとじっくりと考えられないですね。私の作品の主なテーマは、簡単に言うとアイデンティティとメディアやテクノロジーとの関係で、それはずっと変わっていないので、次回もその延長線上にある作品になると思います。ただ、50歳に向かいつつある中年男としての自分自身のリアリティについても興味がありまして、作品化できるかどうかは、今後、自分自身に相談してみます。



『タリウム少女の毒殺日記』(日本/2012年/82分)

監督・脚本・編集:土屋豊
出演:倉持由香、渡辺真起子、古舘寛治、Takahashi
特別出演:住田正幸(広島大学大学院理学研究科附属両生類研究施設・教授)、松岡孝明(湘南美容外科クリニック・副総括院長)、八代嘉美(東京女子医科大学 先端生命医科学研究所)、伊藤通朗(日本ラエリアンムーブメント・代表)


2013年春公開/配給UPLINK
公式サイト http://gfp-bunny.info/intro




土屋 豊 監督 
1966年生まれ。
1990年頃からビデオアート作品の制作を開始する。
VIDEO ACT!主宰/独立映画鍋共同代表。
『Identity?』(1993)、『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?〈96.8.15靖国篇〉』(1997)、『涼子・21歳』(1998)
異色の長編ドキュメンタリー『新しい神様』(1999)が山形国際ドキュメンタリー映画祭で国際批評家連盟賞特別賞を受賞。劇場公開でもロングランを記録。ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭などにも招待された。初の長編フィクション 『PEEP“TV”SHOW』(2003)がロッテルダム国際映画祭国際批評家連盟賞特別賞、モントリオール国際ニューメディア・ニューシネマ映画祭最優秀長編映画賞、ハワイ国際映画祭NETPAC特別賞などを受賞。海外でも劇場公開され、国際的な注目を集めた。日本での公開は2005年。

POSTED BY
Junko HONMA
Junko HONMA / Movie Journalist
「クリエイターとのダイアローグからそのさきへ。そんな“場”をつくっていけたら。」
2012年より映画の上映会や配信の運営、PR、TVドキュメンタリーの制作の現場を経て、“ことばで伝える”ことに立ち返り、表現を取り巻く状況が大きく変わりゆく時代の中で国内外で“領域”を越えて、新たな取り組みに挑戦しつづけるクリエイターのいまをお伝えします。本サイト「theatre tokyo/ creators park スペシャルインタビュー」ほか、ウェブマガジン『HYPEBEAST.JP』ではライフスタイル、カルチャーの翻訳を担当中。大阪の制作、エキストラで初参加させていただいた、リム・カーワイ監督作品『Fly Me to Minami~恋するミナミ~』DVD/iTunes配信も絶賛発売中!!