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theatre tokyo / creator’s park スペシャルインタビュー

2013.12.17 up
theatre tokyo スペシャルインタビュー
       

Vol. 14 辻からの新しいものがたり
『Fly Me to Minami 恋するミナミ』 落語家 月亭太遊さん


text /photo : Junko HOMMA

「お笑い」と言えば、大阪。大阪の正月と言えば、十日戎。ミナミから一番近い今宮戎神社へ福笹をもらいに行くと、桂文枝師匠の行列に遭遇する。ここは大阪!この大阪で国を問わず、放浪しながら映画をつくる中華系マレーシア人映画監督、リム・カーワイ。新作『Fly Me to Minami 恋するミナミ』の12月14日の劇場公開とともに、大阪観光局から大阪観光特使に任命されたこの監督も、落語家・月亭太遊を大阪の芸人・桃太郎として、登場させている。落語を寄席で観たことはなかった。大阪アジアン映画祭から東京へ帰る日に、「林家染弥・月亭方正二人会」で太遊さんの落語が観られるということで天満天神繁昌亭へ。誰もが一度は耳にしたことがある「寿限無」を観る。あの長い長い「寿限無、寿限無…」が早送りで語られていた。サプライズで笑福亭鶴瓶師匠が登場。かなり得をした気分。やはり、ここは大阪!
現在、吉本「2代目京都住みます芸人」として、京都に住まい、地元に密着した活動を行っている月亭太遊さんに、上方の芸の生まれくる文化、物を観る文化への思いを伺った。




お笑いの聖地ミナミ、「ああ、ここや」

『Fly Me to Minami  恋するミナミ 』の撮影からもうすぐ1年になりますね。太遊さんにとって、ミナミとはどんなところですか?

ミナミはね、地元以外では一番長いこと住んでいた土地です。僕、九州出身なんで、その中でお笑いに憧れて来たわけなんですね。吉本のなんばグランド花月(NGK)というのがありますよね。お笑いの象徴というか、メッカ、聖地です。来た頃は「ああ、ここや」と憧れの土地で、しばらくはね。何年も住んで日常になっていって、ミナミの住人になっていたんです。まさに、リム監督の前作『新世界の夜明け』を撮った辺りに住んでいました。

長年住まれている中で、ミナミのおススメは?

お笑いはやっぱり吉本の劇場に観に行ってほしいなというのはありますね。これはほんまに他でなかなか経験できないことやから。芸人てすごいな、という思うのは、NGK、なんばグランド花月に関していえば、一つもスベるところがない、ということです。最初から最後まで、ずっと笑いっぱなし。高い料金払って観てるということもありますけれど。ほんまに。お笑いの中では頂点で、やっぱりいいものを観た方がいい。劇団四季や宝塚観てよかったわぁ、とか、歌舞伎観てよかったわぁ、とかいうところに、NGKが入ってくると思うんです。あれは芸やから。

もともとリム監督から「大阪=お笑い、芸人がいるところ」という設定を求められていたんですか?

ミナミを描くときに、絶対に必要になってくるエッセンスというか、「芸人がいるやろう」ということで入れたと思うんですけれど。その芸人像というのも、いろいろな芸人像があると思うんです。関西の人が思う芸人像、東京の人が思う芸人像。リムさんの場合は外国の人が観る芸人像で。なおかつ、日本のことを知っている外国人という特殊な目線なんで、それにどう応えるか。日本人の監督だったら気遣って言ってこないような、かなりの無茶ぶりもオーディションの時点からあったんで(笑)。

それがイヤとかいうんじゃなくてね、「おお、それ言うか」と。「ギャグを言って下さい」と言われても、ネタですからね。つくる期間というのが必要だから。僕は10年分の引き出しがあるからそういうことできるけど。そういうこと言われるのは想定していましたからね。他の人にも桃太郎の演技を振っていたんですけれど、僕はやめてあげてくれって本当に思っていました。できるわけないやんって。




(c)Lim Kah Wai / Duckbill Entertainment

大阪のお笑い芸人・桃太郎が恋するゆかりちゃん(保田有理香さん)の恋人役には『恋の渦』(大根仁監督、2013)主演の新倉健太さん。



『恋するミナミ』をご覧になられてどうでしたか? 桃太郎のシーンは『恋するミナミ』の中でも見所の一つですね。景色のように夢のように美しく流れるストーリーの中で、地に足が付いた大阪の日常感に逆に持っていかれるというようなスパイスの利いたシーンになっています。

芸人を芸人が演じるということは、なかなかないじゃないですか。大阪アジアン映画祭ver.で観させてもらったとき、自分がおいしい、と思いましたね。不思議な感じがしましたね。めちゃくちゃ恥ずかしかったです。映画で自分を観るのが。今回、何でもないお笑い芸人をやってくれと言われたときに、逆にすごい素に近づいて。ギャグやっているときも、ほんまにお笑い目指しているヤツの顔しているから、自分で観ててもどかしいというか、なんやコイツ、という気がしましたね。

すごいいい感じで使ってもらえていて、普段、落語を観に来てくれている方も観てくれて、おいしかったね、と言ってもらえました。よく三谷幸喜映画なんかでここぞ、というときに大御所を出して注目させるという手法がありますけれど。全体を締めるようなシーンで無名の人間にアクセントをつけて、パ、パ、パッって使っているのはすごいな、と思いました。

映画へのきっかけはYouTubeにあった漫才映像から

そもそも自主制作映画に参加するようになったのは?

お芝居の仕事に興味があったんです。漫才師からキャリアを始めて、その頃からいつか売れたらTVや映画に出たいなと。自分がインディー映画に出るというのは想像できていなかったですね。一昨年『治療休暇』(2012年 監督:梅澤和寛。5月にCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)東京上映展2013として、オーディトリウム渋谷にて上映。)という映画でスカウトされて、主演することになりました。制作の人がはだか電球の漫才をYouTubeで見つけたらしく。とにかく太っている若手の俳優さんを探していて、俳優はどうもおらんということで、お笑いの方で探し始めて僕に行き当たったみたいで。ダメ人間の役で、僕自身は、記号としては自分に近いんです。それでもかなり演技をしているんですが。そこから自主制作映画のつながりが広がって、『恋するミナミ』の製作も知りました。

『治療休暇』の西村は「不快」との評が出る程、本当に救い様のない男で(笑)。でも青春映画らしいラストシーンには好感が持ててしまうんですが。ところでプロフィールにありましたが、落語家の年季明けというのは?

落語家は東京でしたら、前座、二ツ目、真打ちと出世していくんですが、大阪はのほほんとしたところがあって、師匠に付いて、修行の期間というものを経たら、一人前になって自分で商売してもええよ、と免許皆伝のようなものをもらえるんですよね。それが年季明け。年月は人それぞれで、基本は3年、早い人で2年。僕は1年7ヶ月。平均的な落語家としてはもっとちゃんとやった方がいいですね。こんなに早く年季明けできたのは、月亭一門の八方師匠の教えということや、僕の師匠の遊方師匠が僕の漫才師のキャリアとか、僕が将来やりたいこととかを考えはられてくださったのだと思います。

どうしても30までには世に名を挙げたいというのがあったんです。僕、今、29なんですね。師匠に物を言うというのは、本来許されていないというか、やるべきではないんです。師匠が話を聞いてくれて「落語はいざこれから頑張ろうというときに35を越えていたりすると、それでは遅過ぎるんです、世間に対して、20代というのがすごい大事なんですよ」と話したら、「ほんまにそうやな」と言ってくれはったんです。

『治療休暇』に出ることになって、映画は時間をめっちゃ取られるじゃないですか。まるまる2週間、どうなるかわかりませんよ、というときにOKという師匠はまずいないと思います。それで師匠の仕事に付いていくことができひんようになるというので、かなり独り立ちの方向へ向かわせてもらいました。師匠に対しても賛否はあったかと思いますけれども、受け入れてくれて、GOサイン出してくれはったんはありがたいです。今の活動すべてにおいてですけれど。

落語家ということと、映画に出演するということ。

映画に出るというのは、単純に演技をするということ自体が好きやから、いうこともありますが、今持っている落語という表現方法の演出をもう一度考える機会になっています。映画でもこういう部分があるんやぁ、というおもしろさと、カット割をかっちり決めて何回も同じカットを撮るというしんどさとかもあって。でも落語はすべてを独りでやりますから。こういう風なものを挿んでみようという新たな演出について、映画を通して体験できるんです。




(c)Lim Kah Wai / Duckbill Entertainment

衣装は僕が古着屋で見つけてきました。「いかにも芸人」というのがあったので、カラーのジャケット着て、蝶ネクタイ付けてという監督の言っているイメージが何となくわかったので、ちょうどいいのがあったんで、これでどうですか?って。
この道頓堀の水上ボートのシーンは台詞も決まっていなくて。案内っぽいようなことをしてください、ということは言われてはいましたけれど。大阪に住んでいたから、ミナミに住んでいたからこそのぶっつけ本番のようなアドリブで、バアーッと2回くらいのテイクの中で終わりにしなければならなかったんです。





新作落語をつくりたい―表現したいというときにやる場所がある、というのがこのミナミ

桂三河さんとおふたりで新作落語ネタ下ろしをされている「噺セレブ」は、ミナミのライブスペースでされているんですか?

桂三河は文枝師匠のところで年は僕より下ですが、落語歴で言えば、僕より上で仲良くしてもらっています。これはまだ場所が定着していないんです。最初はワッハ上方という、それこそインディーズの芸人が安く借りられる施設があったんですけれど、つぶれてしまって[ホール設備は府の文化行政によって廃止され、視聴覚資料の視聴、書籍が閲覧可能な大阪府立上方演芸資料館として存続している]。次に行ったのが味園ビル。味園ビルというんは、自主映画をやっているような人が出入りするような、サブカルのメッカみたいなビルなんです。あまりにも雰囲気がありすぎなんで、こりゃ変えよか、と。

前回やったのが心斎橋の秘密基地というところなんですが、キャパがめっちゃ狭くて15人も入らないような。この会がめちゃくちゃ贅沢な話で、ネタがぼろぼろのままで行っても、観てもらって、いいものが残ればいいなぁ、という勉強会のようなものなんです。逆に取らへんのも来にくいやろと、それでも1000円は頂いて。

新作落語をつくることが目標の実験的な場です。何にしても、表現したいというときにやる場所があるというのが、このミナミなんですね。それはお笑い関係だけじゃないんです。今言った会場はみんな、お笑い以外もやれる会場だから。何か観に行こう、という人がいてる場所だから、何かやりますよ、と宣伝したらある程度人が来るところなんです。ミナミには、何か物を観るといった、そういう空気が漂っているんでしょうね。映画観る、お笑い観るみたいな。
[音楽アンダーグラウンドカルチャーについては、現在公開中のドキュメンタリー『SAVE THE CLUB NOONこれからの音楽へ』(監督:宮本杜朗、2013)が伝えている。]

新作といっても、型は大事にされているんでしょうか?

すごく制約はあるでしょうね。落語の場合は環境面、表現方法、技法的にもどうしても型を真似ることが大事です。伝統芸能の側面が強いところがありますので、こうせなあかん、とか、しきたりとかがあるのも事実です。独りでしゃべっていますから、型がなかったら、何してるかわからん、ということにもなります。ふたりだったら、センターマイクがあれば、内容はどうであれ漫才に見えるでしょうけれども。落語は型を崩すと内容が入ってこないというのがあるので、これまでの人が何遍も試した表現方法をするのが一番わかりやすいというのはあります。

そんな中で僕がやりたいと思っているのは、落語の良さというのはわからんでも、独りでしゃべるという表現方法は受け入れられるのではないかと。座ってしゃべる、それ以外は何をしてもええんちゃうか。東京だったら「お前さん、何とかだね」という江戸っ子しゃべり、大阪だったら、浪速っ子の。口調はそうでなくてもいいんじゃないか、不自然なんですよ、という気持ちもね、あるんです。

新作でもその口調が?

割とそうなるんですよ。今の落語がけっこうなものだとしたら、何百年前の人がスベったり、嫌な思いをしながら、これがウケるんだよ、というのをつかんでここに来ているわけで。その間にも時系列として、人の流行りとか観る人の感覚というものも変わっていっているわけで、それがある程度で止まってしまっているんじゃないか、と思っています。
古典落語をやるときに、今主流なのは、古典落語をそのまま演るのではなくて、演ると見せかけながら、現代のギャグを入れたり、秩序をちょっとだけ変えて、お客さんを笑かすということをやるんですけど、それは一番生産的ではないと思うんですよ。知っているもんをちょっと変えて笑うのは当たり前やと思うし、マニアックな質の悪い笑いだと思うんですね。

3月に太遊さんが繁昌亭でされたときの「寿限無」は?

あれはかなり変えているんです。後半に早送りをしたんですけれど、あれは桂三風師匠の考えられたアイデアで、稽古を付けてもらったんですよ。あれは知らない人でも笑うと思うんですよ。「寿限無、寿限無」と何度も言われたら、さすがに飽きていると思う。借りに、「寿限無」というのがめちゃくちゃマニアックで、それを早送りにしただけで笑わせるのだったら僕はやりたくないし、そういう変え方は良くないと僕は思うんですよ。ファンを拡大することにもならへんし、今いるファンを囲い込むだけで、何にも偉くないと思うから。







芸人としての高揚感、快感を味わいたい―記憶することの意味

『鷺とり』という上方落語のお話がありますよね。カンボジアの民話にもほぼ同じ話があるんです。仏教説話か何かで日本に伝わったのかな、とルーツが気になっているんですが。

僕もね、すごい関心を持っているところなんですが、世界のジョークとか小咄というのは、何パターンかしかないんですよね。落語の起こりが京都の僧侶の説法から始まっていると言われているんです。河原町の、新京極のあたりに誓願寺というお寺がありまして。安楽庵策伝という和尚さんが法話を話すときに、有り難い話が硬い話になってしまうんで、冒頭のまくらをね、洒落というか面白い軽口で語る。それを集めて本にしたんですよ。つまり、落語というのはテキストありきのものなんだな、と。世界中見ても、独りで語るというのはそういうものだと思います。

ストーリーを伝えようとしたときには、紙もなかった時代には口承伝承しかなかったというのを本で読んで、自分の行動が変わってきたんです。糸井重里と通訳の故米原万里の対談の中で、西洋の落語家みたいな吟遊詩人がいっきに途絶えたのはなぜか、と。紙が普及しだしたからなんですって。記憶媒体が紙になったら、人々は吟遊詩人の話を聞く必要はもうないわけですよ。演者の吟遊詩人にしても、覚えられなくなったんだと思うんです。記憶とメディアということを考えたときに、ほんまそうやな、と。今のネットのことになりますけれど、調べたら知っているということと、自分の中に完全に入っているということは全然違いますよね。そういうところからも表現が変わってきていると思うんです。

だからこそ、ほんまに覚えている意味があると思いますね。自分の中にインプットをめっちゃしたいなって今思っています。新作をつくるために。僕は欲張りなので、自分が教えられたことをそのままやることは、ウケても全然満足できひんことがわかったんです。嬉しないなって。あくまでプレイヤーの喜びでしかないから、自分でつくったネタでウケたときのうわぁっていう高揚感みたいなもんがないんですね。その人の思考とか創作をしたことに対しての賞賛の笑いでもあるわけやと思うから。芸人のほとんどはこの快感を味わいたくてやっているわけで。つくりたいという人はさらに欲張りなんですよね。クリエイターとしての欲を満たそうとしているわけやから。

お金を払って何かを観に行くという文化、ちゃんとものを観に行くという文化が戻ってきてほしい。

映画と違って舞台のお芝居や落語では何もセットがなかったとしても、その世界の中に引き込まれて、自分もその中にいるように感じるあの体験はいったい何なんでしょう?私は映画で登場人物に感情移入はできても、スクリーンのこちらから側から観ているという感覚が拭えないんです。

独りでやっていることに、この人独りでやっていてすごいな、という感心もあるんだと思うんですよ。そこまで細かくはやっていないけど、ある時代のお城やったらお城、長屋だったら長屋があります。それを見せるための工夫を落語家はしているんですね。落語は頭の中で描いてくれ、頼むわ!という表現なんですよ。携帯なったら一気に現実に戻されてまうし。

映画は入場料さえ払いさえすれば、それが楽しかろうが、楽しくなかろうが、全然違う世界を見せてくれるので、そういうものを観てるときには、ほとんどの人は何の工夫もいらんわけです。そのために美術さんがいるわけですよね。子どもとかお年寄りとかが観ても、感動を与えやすい装置が映画だと思うんですね。全部行き着く先は一緒で、自分とは違う、非現実を観たいというのは、落語でもそうやし、映画でもそうやないですか。一瞬だけ、日頃のしんどさを和らげて、また明日からがんばろか、というのが表現の一番いいとこやないかな。舞台でも映画でも落語でも何でも、お金を払って何かを観に行くという文化、ちゃんとものを観に行くという文化が戻ってきてほしいな、と思っています。







この時代に落語をするおもしろさとは?

「今」というのはあまり関係ないかな、という感じですね。どうしても落語の舞台背景というのが、江戸とか明治というところが多いし、みんなのイメージ的には古いことをやっているというのがあると思うんですけど、中に入っているもんは腐らないものやから、そのままやっているというのがあるんでね。こんなにシンプルにおもろいもんないな、と思わせてくれたのは桂枝雀師匠の落語を観たときなんです。枝雀師匠の落語は、本当に笑える工夫がてんこ盛りで、その表現力に持っていかれていたんです。落語通でなくても、わぁっと笑える。それは映画みたいなわかりやすい表現をしてあるっていうことなんですけれど。だから僕はすごくはまった。

その面白いと思った、枝雀師匠の噺は何ですか?

僕はね、23か4のときくらいかな、「代書屋」というネタを最初にYouTubeで観て。方正兄さんも枝雀師匠を観てはまったそうですけれど、「高津の富」で。これも大変よく出来たネタなんです。「代書屋」はすごく演技の力が強いネタなんですね。それぞれ違いがあるんですけれど。「代書屋」はめっちゃアホな奴と、めっちゃ賢い、テンションの低い人ていうのが、完璧に演じ分けられていたおかげで、ふたりのひとがしゃべっているようにしか見えへんかったんですよ。

落語の醍醐味って演じ分けということなのでしょうか?

でもないんですよ。一概には言えないんですよ(笑)。奥が深いんです(笑)。僕は演技がうまい人の、演技で笑いを取るとか、そういう人おるおる、という演技が好きなので。コントで言ったら、ドランクドラゴンさん、ロバートさん、劇団ひとりさん。だからそこにすごく関心があったんだと思います。すっごい面白かったんですね。演技も上手で、成り切り系のネタなんです。

お笑いとか、芝居とか、民衆の外れから出てきている。その要素は絶対に忘れたらあかん。

地域密着ご当地落語を考えていらっしゃると。京都に住んで、今、見えてくるものとは何でしょうか?

これはまあ、大変おこがましい話なんですけど、僕も落語家やし、つくるということも曲がりなりにもさせていただいているので、ご当地の落語、人を入れた落語というのをつくろうかな、と。僕個人の考え方ともすごくマッチしていて、落語の起こりは京都なんで、そういうルーツを遡りたいというのもあります。今、落語というのはすごく大層なもんになっとって、そのおかげでとっつきにくくなっていると思うんですけれど。本来は庶民のもんやろ、と思っていて。道端でやり出したのが一番の始まりなわけやから。

辻説法みたいなものだったんですか?

本当にそうです。辻やから意味があったわけですよね。もともとは、観に来る人たちが聴きやすいように仏教の教えをわかりやすくして。わかりやすいというのと、自分が行きやすいというのが重要で、威厳とか、大層な階級みたいなものはいらんわけです。お笑いとか、芝居とか、映画もそうですけど、そういう商売は民衆の中から出てきたわけですよね。民衆の外れから出てきてますよね。その要素は絶対に忘れたらあかん、と僕は思います。

それがなぜか権威の方に近づいて。

権威やカネやらに近づくと。ほんま芸人は社会とか、それをやるべきやし、それはチャップリンがやっていたわけですけれど、ヒトラーの『独裁者』(1940)をつくったときなんか、ほんまに殺されてもおかしないようなタイミングであの映画をやっていたけれども、芸人のある種しがらみにとらわれていないところとか、芸人やったら許されるいうんで、ああいったことを考えたわけですからね。今、テレビ出てあのような芸したら叩かれるし、芸人の方が政治家よりヤバいことは言わないですよね。スポンサーとかもいるから、とか何とか、おかしなことになっているわけで。本当は関係ないわけじゃないですか。やること自体はね。僕は少しでもしがらみから離れたかった。落語会からも芸能界とかそういうところからも。

落語は庶民のもんやろ、自分から行けばいいんじゃないか。

見せるということの価値観、見せる機会、場というのも変わってきたと?

これだけ、いろんな刺激的なことがある中で、例えば映画観にきてくれよ、とか、落語を聴きに来てくれよって言っても、自分が逆の立場やったとしたら、きぃへんと思うわけです。それなら自分から行けばいいんじゃないか、と。落語はそれがやりやすいやないですか。映画館を持って行って観てもらうのは大変やけれども。そういう動きをみんなしてったらいいと思うんです。落語はほんま、物いらないからこそできるわけで。そういうことをやっていくことで、落語も発展していくわけやし、映画とか、文化自体が盛り上がればいいなと、かなりデカイ話ですけれど、そう思っています。僕も最初はメディアに出たい、乗りたいという考えしかなかったけど。紆余曲折あって、スムーズにそこに行かへんかったおかげで、けっこういろんなもん観させてもらったおかげで、そういう考えになってきました。

「京都住みます芸人」は京都に限定して、京都内をいろいろと点々とできるんです。場所によって、まちまちなんですが、宮津市、京田辺市といった自治体との関わりはすごい重要ですね。地方には絶対に待ってくれている人がおる。どの地域に行っても、そこの人らが何とかせなならん、盛り上げなならん、という気持ちを持たれているのは、みな同じですね。わらをもすがる気持ちで、僕らみたいな芸人に、吉本に頼ってくれるわけで。宮津に一か月間いてて、いろいろなところで落語をしたんですけれど、ほんまに喜んでもらえたし。この人らを喜ばせたいから、いろんなネタを覚えたり、つくったりせなあかんな、と思いましたね。観に来てくれ、というのがおこがましい時代になってきたのかもしれないですよねっていうとこですね。

僕の場合、自分の思いと合致したというか、物語を集めたいという気持ちもあって。『鷺とり』の話が別のところにあった、というようなことにすごく興味が。何でこうなっていったんやろうなって。地域の人々に物語を聴いてゆくということもやっていきたいなと思っています。ライフワークです。最終的にもっとデカいものになればいいな、と思っていますけれどね。



大阪アジアン映画祭 3月17日『Fly Me to Minami 恋するミナミ』シネ・ヌーヴォ舞台挨拶

左より加藤順彦製作総指揮、リム・カーワイ監督、ペク・ソルア、月亭太遊。今年の大阪アジアン映画祭では、インディーフォーラムでもCO2第9期の出演2作品『丸』(2013年 監督:鈴木洋平)、『壁の中の子どもたち』(2013年 監督:野口雄也)も上映された。
「器用貧乏という言葉を証明したろ!器用貧乏って簡単に言うけどできへんやろ。」




『Fly Me To Minami  恋するミナミ』  


2013年/日本・シンガポール
英語、中国語(広東語)、韓国語、日本語/103分

監督:リム・カーワイ
 

出演:シェリーン・ウォン、ベク・ソルア、小橋賢児、竹財輝之助、藤真美穂、石村友見、月亭太遊

音楽:イケガミキヨシ
テーマソング「Fly Me to Minami」JAZZIDA GRANDE feat. ナガシマトモコ
製作・配給ダックビル・エンターテイメント
 



関西 2013年12月14日より公開
大阪 シネ・ヌーヴォ、第七芸術劇場
神戸 元町映画館
京都 元・立誠小学校・特設シアター

関東 2013年12月21日より公開
東京 オーディトリウム渋谷

中部 2013年12月28日より公開
名古屋 シネマスコーレ

website:http://flyme2minami.com


『Fly Me to Minami 恋するミナミ』舞台挨拶
2013年12月27日(金) 17:00~18:45
京都・元立誠小学校特設シアター
リム・カーワイ監督、月亭太遊、保田有理香、安藤匡史による舞台挨拶。
劇中の桃太郎とゆかりちゃんと恋愛博士Dr.安藤との番外編!

「ネタおろし!あおば VS 太遊 バタイユ!」
2014年1月24日(金)
大阪・動楽亭
開場18:30 開演19:00
出演:月亭太遊、桂あおば
料金:1,000円




月亭太遊(つきていたいゆう)

落語家。
1984年生。大分県出身。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。
大阪NSC26期生漫才師。はだか電球として2005年の第26回ABCお笑い新人グランプリ新人賞を受賞。キングオブコント2010、M1グランプリ、R1グランプリなど準決勝に進出する成績を数々残している。コンビ解散後、2010年12月、落語家月亭遊方に入門。2012年7月年季明け。
『治療休暇』(2012年 監督:梅澤和寛)主演、『丸』(2013年 監督:鈴木洋平)、『壁の中の子供達』(2013年 監督:野口雄也)に出演。『恋するミナミ Fly Me to Minami』(2013年 監督:リム・カーワイ)では、大阪・ミナミの恋するお笑い芸人を好演。
吉本興業「あなたの街に住みますプロジェクト」で、2代目京都住みます芸人として特設サイト「YNN47 LIVE」にてUstream「月亭太遊の京都を好きでい太遊」配信中。

POSTED BY
Mitsutomo KAWAMURA
Mitsutomo KAWAMURA
1977年生まれ。洋服だけでなく、あらゆるジャンルの"表現者"と共にシーンを創る、
そして紡ぐということをコンセプトに2006年にエージェント4Kを設立。