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theatre tokyo / creator’s park スペシャルインタビュー

2015.08.01 up
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Vol. 17 喪われたものを描き出す
『フリーダ・カーロの遺品—石内都、織るように』 小谷 忠典 監督



text /portrait photo:Junko Homma




メキシコを代表する女性画家、フリーダ・カーロ(1907〜1954)。没後50年を経て、メキシコシティにあるフリーダ・カーロ博物館《青い家》で彼女の遺品が公開されるにあたり、その遺品のカタログを撮影するプロジェクトとしてオファーを受けた、日本を代表する写真家・石内都さん。石内さんは、ご自身の母の死の直前の身体や母の遺品を撮影した「Mother’s 2000-2005未来の刻印」を2005年のヴェネチア・ビエンナーレで日本代表として出品。フリーダ・カーロ財団がそのシリーズを目にしたことがきっかけとなって、今回のメキシコからの依頼につながった。

これまで石内都さんの写真に見られる「キズ」を肯定する在り方に影響を受け、自身初の全国劇場公開作品となったドキュメンタリー『LINE』では、アルコール依存症の父親との関係に向き合い、父と暮らす大阪・大正区とつながりのある沖縄へ向かい、コザの娼婦の身体へ刻まれた「キズ」を描いた小谷忠典監督。いつか石内さん自身を描いてみたいという想いから2012年2月思い切って石内さんに電話をかけて始まった、メキシコでの3週間の密着取材。石内さんがその3週間の中で《青い家》で向き合ったフリーダの遺品は、写真集「Frida by Ishiuchi」として「パリ・フォト2013」で初公開された。

絵本作家の佐野洋子さんを描いた前作『ドキュメンタリー映画100万回生きたねこ』に引き続き、創作するひととの時間を、そこに連なる人々や土地の記憶をドキュメンタリーとして表現する小谷監督に、新作『フリーダ・カーロの遺品—石内都、織るように』の8月劇場公開を前にお話を伺った。



洋画、演劇を経て、映像表現へ



学生時代、洋画を専攻されていて、どうして映画に、特にドキュメンタリーに移っていったのですか?

小谷監督:
亡くなった祖父が日本画家だったので、子どもの頃から絵を身近に感じていました。その延長で、自分も絵を描く人になりたいと思ってそっちの方に進みました。でも、絵ではなかなか上手く表現できなかったんです。絵を描く作業って一人の作業じゃないですか。それにも、行き詰まりがあって。表現したいものはあるんだけど、どういう道具を使えば出せるのかなと考えた時期がありました。

それは何歳ぐらいのときのことですか?

小谷監督:
二十歳くらいのときだと思います。大学の文化祭か何かで演劇をやったんですが、その集団表現が面白かったんです。でも演劇のあのオーバーな動きに抵抗がありました。集団で作って、なおかつリアリティのある表現って何かなって思ったときに映画に行き着きました。最初は、フィクションの映画を作ってましたが、自分の思い入れが強すぎて、よく学校の先生に「画面上で人が生きていない。人形みたいだ」という指摘を受けました。

それはご自身のディレクションが、ということですか?

小谷監督:
そうです。どうやったら画面上で生き生きした人が撮れるんだろうって悩みました。そんな時に、ドキュメンタリー映画を見始めたんです。当時、ペドロ・コスタ監督や佐藤真監督など、ドキュメンタリーで豊かな表現している作家に触れて、ドキュメンタリーをやってみたいなと。カメラに人が合わせるんじゃなくて、逆に人にカメラが合わすという方法で作品を作るようになって、自分の美意識が崩れました。少しは人を撮れるようになったとは思っています。


フリーダ・カーロは、ドイツからメキシコに渡ったユダヤ人で写真家の父とメキシコ南部オアハカ出身でスペイン人とインディオの血を引く母との間に1907年、メキシコシティ郊外のコヨアカンに生まれた。6歳で小児まひとなり、左右の足の長さや細さが異なったことから日々の装いに様々な工夫を施していた。そして医学生だったフリーダが18歳のとき、乗っていた路面電車にバスが突っ込み、命は助かったものの、鉄のパイプが子宮を貫き、脊椎、右足、骨盤の骨折を負わされたこの事故は、その後の人生の肉体的精神的痛みから死のときまで逃れられないものにした。そして寝たきりの入院生活の中で、フリーダは父の油絵の具で絵を描き始めた。



「キズ」を抱えた女性を描く



独立映画鍋の新しい企画プレゼン[2014年1月、オーディトリウム渋谷で開催されたキノトライブ2014「クラウドファンディング・リアル!vol.2_2」]で、小谷監督が『フリーダ・カーロの遺品』の企画を紹介されたときに、『LINE』を拝見いたしました。『ドキュメンタリー映画100万回生きたねこ』は友人から「女性だったら絶対に観てほしい」と薦められていて、今回初めてDVDで拝見しました。自分も理解できる家族とのキズであったり、もっともっと深いキズを抱えている女性が多く出演していて、衝撃的でした。

『LINE』、『100万回生きたねこ』、『フリーダ・カーロの遺品』とこれまでなぜ女性を主題にしてきたのですか?


小谷監督:
女性に関して、すごく意識しているわけではないんですが、自分は男性だから、異性である女性がわからないってところに惹かれるのかも知れません。身体的なところも、内面的なところもそうだと思うんですけど、男性の直線的なものより、女性の持っている曲線的な部分、その複雑さみたいなところに興味があるんだと思うんです。まあ、ただの女好きかもわからないですけれど。

はあ(笑)。では、もしかしたら次の作品も女性かもしれない?

小谷監督:
優れた芸術家は男女ともに描いていると思うんです。だから、男の人もきちんと描きたいなというのが課題としてあって。今度撮る人は男性を対象にしています。


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今回、死の床まで心身ともにキズを抱えていたフリーダが石内さんの向こう側にありながら、前回までの作品とは異なり、「キズ」はクローズアップされなかったのはなぜでしょう?

小谷監督:
これまでは力量不足もあり、「キズ」を直接的に見せることでしか伝えられなかったと思います。『LINE』は10年くらい前の作品なので、撮ることで精一杯でした。偶然、今回も「キズ」だらけのフリーダ・カーロを撮っているわけなんですけれど、直接的な表現をせずとも、遺された物やメキシコの風土でフリーダの「キズ」を感じられるような描写を心がけました。


1947年生まれの石内さんが40歳を過ぎた同い年の女性の手と足を撮影した写真集『1・9・4・7』(1990)に、傷跡を撮り始めた石内さんの印象的な言葉がある。「身体は時間と空気のなすがままに受け入れる器のようでもある。」という言葉だ。「そしてある日、身体というカタチは無くなってしまう。」と。

そして今回の映画『フリーダ・カーロの遺品』の中で、ヒロシマの人々の遺品としての衣服を撮ることについて、《青い家》でメキシコのメディアのインタビューに答える石内さん。「人間はいないけど、洋服があるという現実。洋服がその人を語る」という。そのインタビューの中でフリーダ・カーロの遺品を撮ることについて「フリーダ・カーロの遺品というより、オアハカの歴史の中での衣装ということがわかってきて、フリーダ・カーロの個的なものではない」と。

映画の中で石内さんは「遺品を撮るというのは、過去を撮るのではない。今、ここにいて、出会っている」とも語っている。今回石内さんが撮影している衣装やコルセットは、フリーダ・カーロが身につけ、フリーダが描いた自画像の中に見られるテワナドレスや、フリーダ自身が『VOGUE』誌の表紙を飾ったり、特集されたことのあるものたちだ。フリーダの衣装が語りかける、メキシコ先住民族のアイデンティティとプライド。石内さんはフリーダがどのように着用していたのか、またその繕いの様子から生活感を目の当りにして、フリーダがその愛用していた品々とどのような時間を過ごしていたのかを感じ、カメラにとらえていく。



衣服が語りかけるフリーダ・カーロのアイデンティティとプライド



今回フリーダ・カーロ博物館から石内さんに撮ってほしいと言われていたのは衣服がメインだったんですか?

小谷監督:
服に特化していたわけでなくて、それは石内さんの選択ですね。

服の話に映画の中では絞られていたので、『Mother’s 2000-2005未来の刻印』(2005)や『ひろしま』(2008)、『Fromひろしま』(2014)の写真集でも衣服が中心だったりして、そういうこともあって、服について依頼されていたのかと思いましたが、そういうわけではないんですね。

では、石内さんの仕事をより可視化するために、他にフリーダの生涯にはいろいろな要素があった中で、どうしてフリーダの母の故郷オアハカ地方のテワナドレスと刺繍の伝統をフォーカスしようと思ったのですか?


小谷監督:
撮影当初の石内さんは、フリーダ・カーロ個人を捉えていましたが、徐々にテワナドレスの色彩や質感やディテールなどから、メキシコの伝統であったり文化であったり、そういったところも写真に収めているように感じられました。その目には見えない石内さんの仕事を可視化するというか、表現していくことが、映画の役割じゃないかなって思ったんです。実際、オアハカに行って撮影させてもらった刺繍家たちや、彼女らの作るテワナドレスから、フリーダのアイデンティティを強く感じました。


2005年のヴェネチア・ビエンナーレでの「Mother’s 2000-2005未来の刻印」でフリーダ・カーロ財団に今回の遺品撮影の依頼を受けることになった石内さん。これまで訪れたことのなかった広島で、広島平和記念資料館に保管されている被爆死した人の遺品や被曝した物を2007年に撮影するきっかけになったのも当時東京で開催されていた”Mother’s”だった。写真集『ひろしま』(2008)で「母の遺品シリーズ“ Mother’s”は個人的な写真から離れて、作品の自立を感じていた頃でもあり、写真の質の流れとして広島に呼ばれたのかもしれなかった。」と石内さんは撮影の始まりを振り返っている。遺品を撮影する石内さんの姿勢は「今、私に出来ることは、目の前にあるモノ達と共有している空気にピントを合わせ、その場の時間をたぐり寄せながらシャッターを押すだけだ」という。



ないものをあるように創り上げていける映像の力



石内さんが確執のあった母の遺品と向き合うという極私的なテーマから、「ひろしま」、「フリーダ・カーロの遺品」とより世界が注目するような撮影のお仕事へとつながってきていて、小谷監督も現在『LINE』、『100万回生きたねこ』、『フリーダ・カーロの遺品』と対象が極私的なものから、世界中にファンがいるような対象へと大きく広がってきたことについて、どのように感じられていますか?自然な流れということでしょうか?

小谷監督:
石内さんの影響を受けていたり、石内さんを下敷きにやってきたということもあるとは思うんですけど、例えば『LINE』では、自分の内面にあるグチャグチャしたものを一度吐き出してしまいたかったんです。だから、今は空っぽで、内面を描きたいとは思わないです。そういう意味では、『100万回生きたねこ』や『フリーダ・カーロの遺品』は、外の世界に自分の目が向いている作品だと思います。でもまた、何かが内に溜まってきたら内的な作品を作るかもしれません。

そういう人生の、ライフステージの流れという?

そうですね。自分が生きていることと、映画を作っていることは同義だと思うので、それはそういう流れがあるんじゃないかなと思うんです。


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映画の後半では、オアハカの女性たちのように祖母から孫、母から孫と受け継がれているものが描かれていました。今回の映画を通して、監督の映画製作のテーマとなりつつあるのは、「喪われたものを、別の場所で見つけること」、「あるいは幻をも描き出すこと」だそうですが、日本の小谷監督が今後の映画製作を通して、次の世代へ伝えていきたいと考えているものがあれば、教えてください。

小谷監督:
喪われたものを描き出すというのが、映像の持っているひとつの力なんじゃないかなと思っていて。狙ったわけではないんですけど、『LINE』では、自分自身の失っていた記憶を撮ったり、『100万回生きたねこ』では、製作中に佐野洋子さんが亡くなって、死後も佐野さんの幻を追いかけたり、今回の『フリーダ・カーロの遺品』では、すでにこの世にいないフリーダを描き出したりということをやってます。


「他の取材でも話したけれど」と小谷監督が話してくれたエピソード。高校時代に仲のよかったグループの一人の結婚式で、友人が代表して泣きながらのスピーチを行なった。5、6年前にその友人たちで小谷監督が撮っていたホームビデオを観たという。そのスピーチをした友人はすでに病気で他界されていて、でも「映像の中では彼は生きていて、それをそれまでみんな騒いで観ていたのに、みんなシーンとなって。本人が目の前にいるみたいな感じで、彼を慈しむような時間が流れた」のだそうだ。そのときに「映像の力をまざまざと感じた」という。




小谷監督:
フリーダ・カーロはもういないんですけども、フリーダを感じてもらったりとか、フリーダを知らない人に知ってもらったりとか、そういうことが映像にはできるんだなと思っています。90歳になられるフリーダの甥っ子さんがいらっしゃるんですが、映画も観てもらったんです。「最終、刺繍のところに映画が集約していって、すごくフリーダを感じたよ」と言ってもらえて、それは嬉しかったですね。





メキシコで11月に盛大に行なわれる「死者の日」。お墓での家族の時間、家族の大切な場所を撮影するにあたって、撮影をみな快く受け入れてくれる感じだったのかを小谷監督に尋ねた。諸外国の介入といった歴史的な背景による、「仮面の国」とも呼ばれるメキシコ人。その他者を受け入れる、ウェルカムな国民性や、ツーリストイベント化されている「死者の祭」で観られたり、撮られたりすることに慣れて、逆にオープン過ぎる愛想のよい地元の人々から「その人たちそのものの、インディオから受け継がれている死者の祭りの感覚」に当初はなかなかたどり着けなかったという。3日間しかない「死者の日」の中で、オアハカ地域からちょっと離れた村や、まだ伝統的なものが残っている地域をいろいろまわり、向けていたカメラを外して、話したり、一緒にお墓でごはんを食べたりといったコミュニケーションを深める中でようやく彼らの素の部分や無表情の部分に近づけたという。

小谷監督のこの「死者の日」の地元の人々とのエピソードは、メキシコを代表する画家であった、フリーダ・カーロの夫ディエゴ・ヴィエラが壁画に革命を担う理想の姿として描いたものや、写真家ニコラス・ムライによって残された美しく華のあるポートレイトといった他者によってとらえられたフリーダ像と、彼女自身が描き続けた数々の自画像にあふれる内面世界との間に流れていたフリーダの日常の息づかいや眼差し、それらを取り巻く風景や歴史に観る者をより一歩近づけてくれるものだった。フリーダ・カーロがその生前、身につけていた衣服やコルセット、靴、マニュキアの瓶を通して、それらの物とともに彼女が過ごした時間と向き合った石内都さんの写真に映る、フリーダの日常の温度感が映画を通して熱量を持って目の前に浮かび上がってくるようだった。




小谷 忠典(こたに ただすけ)

1977年、大阪府出身。
絵画を専攻していた芸術大学を卒業後、ビジュアルアーツ専門学校大阪に入学し、映画製作を学ぶ。『子守唄』(2002)が京都国際学生映画祭にて準グランプリを受賞。『いいこ。』(2005)が第28回ぴあフィルムフェスティバルにて招待上映。初劇場
公開作品『LINE』(2008)から、フィクションやドキュメンタリーの境界にとらわれない、意欲的な作品を製作している。前作『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012)は、国内での劇場公開だけでなく、釜山国際映画祭でのプレミア上映後、トリノ国際映画祭、ドバイ国際絵が祭、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭、サラヤ国際ドキュメンタリー映画祭、ハンブルグ映画祭など海外映画祭で多数招待されている。



石内 都(いしうち みやこ)

1947年群馬県生まれ、横須賀育ち。
現代日本を代表する写真家。初期三部作「絶唱、横須賀ストーリー」「APARTMENT」「連夜の街」で街の空気、気配、記憶を捉え、同い年生まれの女性の手と足をクローズアップした「1・9・4・7」以後身体にのこる傷跡シリーズを撮り続ける。05年「Mother’s 2000-2005 未来の刻印」でヴェネチア・ビエンナーレ日本代表。09年に発表した写真集「ひろしま」(集英社)、写真展「ひろしま Strings of time」(広島市現代美術館)では、原爆で亡くなった人々の衣服を撮影。衣服をまとっていた人々がいまそこに在るように写し出したその作品群は話題を呼んだ。14年、日本人で3人目となるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。






『フリーダ・カーロの遺品 ――石内都、織るように』
2015/日本/89分/HD/日本語、スペイン語、英語、フランス語

監督・撮影:小谷忠典
出演:石内都

録音:藤野和幸、磯部鉄平 撮影助手・スチール:伊藤華織 制作:眞鍋弥生
編集:秦岳志 整音:小川武 音楽:磯端伸一
アソシエイト・プロデューサー:光成菜穂
コ・プロデューサー:植山英美
プロデューサー:大澤一生
宣伝:テレザとサニー
助成: 文化庁文化芸術振興費補助金/後援:メキシコ合衆国大使館
製作・配給:ノンデライコ

公式ウェブサイト:http://legacy-frida.info/

2015年8月8日(土)より
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開




【参考文献・資料】
小谷忠典 DVD・特典ブックレット『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』2012年、nondelaico、contrail、東風
―映画パンフレット『フリーダ・カーロの遺品 ――石内都、織るように』2015年、nondelaico
石内都『1・9・4・7』1990年、I.P.C
―『マザーズ 2000-2005 未来の刻印』2005年、淡交社
―『ひろしま』2008年、集英社
―『Fromひろしま』2014年、求龍堂
―『石内都:絹の夢』2012年、青幻舎
梯久美子「写真家 石内都 傷ついたものたちの声を聴く」『声を届ける―10人の表現者』2013年、求龍堂
東京国立近代美術館ニュース「石内都 モノクローム―時の器[報告]スライドレクチャー『石内都・自作を語る』(1999年10月23日)」『現代の眼』選集『美術家たちの証言』2012年、美術出版社
堀尾真紀子『フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像』中公文庫、1999年、中央公論社
―『フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ』2009年、ランダムハウス講談社
クリスティーナ・ビュリュス著、遠藤ゆかり訳、堀尾真紀子監修『フリーダ・カーロ―痛みこそ、わが真実』「知の再発見」双書142、2008年、創元社
マルタ・ザモーラ著、北代美和子訳『フリーダ・カーロ 痛みの絵筆』1991年、リブロポート




『フリーダ・カーロの遺品 ――石内都、織るように』© ノンデライコ2015

POSTED BY
Junko HONMA
Junko HONMA / Movie Journalist
「クリエイターとのダイアローグからそのさきへ。そんな“場”をつくっていけたら。」
2012年より映画の上映会や配信の運営、PR、TVドキュメンタリーの制作の現場を経て、“ことばで伝える”ことに立ち返り、表現を取り巻く状況が大きく変わりゆく時代の中で国内外で“領域”を越えて、新たな取り組みに挑戦しつづけるクリエイターのいまをお伝えします。本サイト「theatre tokyo/ creators park スペシャルインタビュー」ほか、ウェブマガジン『HYPEBEAST.JP』ではライフスタイル、カルチャーの翻訳を担当中。大阪の制作、エキストラで初参加させていただいた、リム・カーワイ監督作品『Fly Me to Minami~恋するミナミ~』DVD/iTunes配信も絶賛発売中!!