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theatre tokyo / creator’s park スペシャルインタビュー

2017.10.18 up
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Vol.20 異国の地、地下300メートルの光と闇の美学 
『鉱 ARAGANE』小田香監督



text /portrait:Junko Homma



坂本龍一氏の8年ぶりのニューアルバム『async』の楽曲を使用した作品で、坂本龍一氏とタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が審査を行うという「async – 短編映画コンペティション」の応募作品の中で、大阪のミニシアター、シネ・ヌーヴォが登場する小田香監督の『OUR CINEMA』をすでに観ている人もいるかもしれない(『オーディエンス賞』を決めるVimeoにおける再生回数、「Like」数、Facebookにおける「いいね!」のカウントは2017年10月30日 12:00PM まで!)。

毎年11月、東京フィルメックスの映画祭会期中、ベルリン国際映画祭と提携して、世界的に活躍する映画人が講師陣として迎えられてメンターとなり、参加者が自分の企画のための資金獲得や必要なチームづくりのためにブラッシュアップしていく、アジアの若手の映画監督やプロデューサーのための育成プログラム「タレンツ・トーキョー」。その終盤、講師によるレクチャーと、参加者の企画の公開プレゼンテーションがオープン・キャンパスとして外部にも開かれる。2015年、小田監督はボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから参加していた。サラエボにある監督(『ニーチェの馬』を最後に引退)の次世代育成のプロジェクトである映画学校「film.factory」で学んでいて、プレゼン時の企画書のディレクターズ・ステートメントには「film.factoryの映画制作への理想は、映画制作者は人々のためにあり、その逆ではない。けれども、私がこの国とその人々について何も知らないと気づいた時、私は何を撮ることができるのか、わからなかった」と英語で書かれていた。

10月21日(土)から新宿のK’s シネマで公開されるのは、そのサラエボ近郊にある炭鉱で撮影されたドキュメンタリー。その公開を前にして、小田監督にお話を伺った。


サラエボータル・ベーラ監督のfilm.factoryで学ぶ

2年前にタレンツでお会いした時も何でサラエボなんだろう?という印象があったんですけど、プロフィールを拝見したら、アメリカに留学されていた。映画を勉強するにしても、日本でいろいろある中で、アメリカに行かれたんですか?

小田監督:
日本の短大にまず行っていて、関西外大というところなんですけど。そこから編入して、2年、アメリカに行きました。

もともと国際的なことに興味があったんですか?

小田監督:
ううん、なかった(笑)。私はずっと、バスケットをしていて、高校生の時に膝を悪くしてしまって、続けられないってなって。プロでやりたかったんで、全くもうバスケットができなくなったから、新しいことしないとなって。特に何やりたいっていうのがなかったので、まあ英語を勉強しておくかなって感じくらいの気持ちです。

アメリカに行く時はすでに、映画ってことは決めていたんですか?

小田監督:
何か表現するものっていうのは決めていました。ただ、一般教養の大学だったんで、映画学校でもないし、美大、芸大でもないんです。そこでカメラを触れるコースみたいなのがあって、それは一応受けていました。

私は拝見できていないですけれども、そこで卒業制作『ノイズが言うには』をつくられて。film.factoryへは、その作品をタル・ベーラ監督がどこかでご覧になられて、悩んでいるなら来れば、という展開だったんですか?

小田監督:
『ノイズが言うには』を撮って、なら国際[映画祭]の学生部門で上映して頂いて、そこのプログラマーだった人が、「タル・ベーラっていう人がこういう新しいプログラムを始めるよ」って教えてくれて、応募したんです。『ノイズ~』を観てもらって、彼が気に入ってくれて、行けることになりました。

サラエボは日本から見たら、近隣の国ではないですし、イメージとしてはかつて紛争があった国。ちょっと遠い感じがあるんですが、応募する時点で、行ってみようと思ったのには、どういう思いがあったんですか?

小田監督:
もちろん彼の作品、すごく尊敬していたというのもあるし、その時点で名前が出ていた講師の人たちがすごく素敵な人たちばっかりだったし。その時はもう日本に帰ってきていましたけど、日本にいて、特に映画仲間がいたわけではないので、新しい土地で、新しい人たちと出会って、何か拓けるものがあるかな?っていう気持ちはありました。

実際に行ってみて、現状を打破できるような出会いとか、今でもすごい大きい影響を与えているものがfilm.factoryにはありましたか?

小田監督:
もちろんベーラもそうだし、いろんな講師の人たちに出会って、いろんなものを共有して頂いて、大っきいです。私たちの代は17人だったんですけど、各国から集まってきた同年代、それこそ20代から40代くらいの若いフィルムメーカーと出会って、彼らがどれくらいストラッグル(葛藤)しているとか、一緒に協力し合って映画をつくるだとか。そういうつながりができたっていうのは、一個、私のとってもでっかい指針になってるし、支えになっていますね。今でもみんなとつながっています。

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サラエボで24時間掘削されている炭鉱、地下300メートルの坑内に入る

映画を観て思ったんですけど、照明は人間のヘッドライトだけで撮影もされていたんですか?

小田監督:
そうですね。あと、重機のランプだとか。私は一人だったし、基本的には。カメラで手一杯なので。録音もできないくらいだったから。

カメラで録れる音だけでやっていたんですか?あんなに音が迫力があるんですね。

小田監督:
そうです。期待以上でした。

映画をずっと観ていて、私は日本でも炭鉱に見学に行ったことはないので、何よりもまず、どんな匂いの中でやっているんだろうなって、すごく匂いのことが気になりました。

小田監督:
えー、初めて言われた(笑)。場所によって違いますけど、やっぱりカビ臭いとか、ほこりの匂いとか。あと、壁を支えているのが木なので、木の匂いだとか。ちょっと湿っぽい。

映画の中でも坑夫が事故の話をされていましたが、炭鉱に入って、撮影をすることは、万一の事故の可能性も含めて、ある種、命もかかっていると思うんですけど、どういう思いで、炭鉱へ入って行かれたんですか?

小田監督:
うーん、ものすごいでかい覚悟があったとかではないです。そんなことを言えたら、かっこいいけど。でも、何か万が一、事故とかがあって死ぬのは、私が決めたことだから、しょうがないなって思っていました。ただ、痛いのは嫌だなって思っていました。苦しんで死ぬのは(笑)。でも、もちろん、穴入る前に一筆書かないといけないし、何かあったら自分の責任ていうのは、思ってましたね。それより、撮らしてもらって、有難いなっていう気持ちの方が大っきかった。

何かレクチャーがあるんですか?安全的なことで、ここだけは守ってください、というような。

小田監督:
私はトレーニングを受けていないから、一人では入れないんですね、中に。いっつも、安全管理の方が、マネージャーが横にいて、その人の後ろを付いていくっていう感じだったんですけど、基本的にはその人の後ろを歩いて、撮影したいショットがあったら、言葉が通じないから、こう身振り手振りで、「ここ、ここ」って言って、「ちょっと待って」っていう感じでやって。

苦しくなったりとか、するんですか?

小田監督:
息苦しかったですね、終始。

それから映画の中で、音がなくなった瞬間があったと思うんですけど、あれがすごい気になって。

小田監督:
私は大っきい音っていうのが、すごく苦手で。でもあの中では、大っきい音があったから、大っきい音になっているんですけれど。でもやっぱり、疲れるんですよね。普段、大っきい音に慣れていないし、ノイズに慣れていないから。でも、こうピークを超えたら、何も聴かなくなる瞬間が何回もあって。もうシャットダウンしちゃうというか。そういう瞬間を表現できたらなって思って、サイレントのシーンと、その次のショットがすごく長いショットなので、ワン・パンクチュエーション(一区切り)置くっていう気持ちもあって。

実際に撮影されることについて、坑夫たちはどう思っていたんですか?

小田監督:
まず最初に、炭鉱の会社の人たちにお話して、撮影させて下さいってことで許可を頂いて。実際に中に入って。いつも付いてくれた人が、初めて会う坑夫の人たちには、「日本から来て、この炭鉱の映画を撮りたいねやて」っていう感じで説明してくれて。彼がそばにいるから、皆さん、すごく好意的に。なるべく、私も邪魔しない形で。彼らもお仕事で忙しいから。「わかった、撮るんやったら、撮ったら」という感じでしたね。

撮られることが、自分たちの仕事が誇りというか。

小田監督:
そういう面はもちろん、あったと思います。嬉しかったと。カメラを向けると、すごく暴力的にもなるけど、注目を浴びるのが好きな人もいるから、そういう人たちは嬉しそうでしたね。何かわからない東洋人が来て、撮影しているという。

日本人が日本国内で撮っても、その現象は起きると思うんですけど、あるコミュニティの外部から撮影者として行っていて、その対象を対象として撮ってしまう、被写体を本当に被写体として、人間だけじゃなくて、風景も含めて、「これを出したいから撮る」という感じの撮り方がある。私はペドロ・コスタ監督とお話した時、それを「搾取」という言葉を使っていて、それは監督のステートメントにあった、film.factoryの目指している「映画制作者は人々のためにある」とクロスする言葉なんですけど、「撮るために人々がいるのではない」というのをすごく意識していて。私自身が映画を観る時に気持ちよく観れる時っていうのは、この映画を観ている時も、本当に日本人で、サラエボの炭鉱の中でアウトサイダーなのに、撮っていて、「撮っているんだ」という感じではなくて、そこの空気がまざまざと映されていることに、すごい好感を持って。

小田監督:
ありがとうございます。

登場する人物たち、風景が、言語がなくとも、その存在によって、主体的に物語るような構成になっていると思いますが、撮影時、編集時に、自分の矜持っていうんですか、撮る人たち、風景に対して、どういう思い、態度、意思で撮られていたり、編集されたりするんですか?

小田監督:
よく『鉱』は「観察映画」みたいですねって言われるんだけど、観察映画の巨匠って言ったら、ワイズマン[フレデリック・ワイズマン監督、最新作『エクス・リブリスーニューヨーク公共図書館』が今年、山形国際ドキュメンタリー映画祭コンペティション部門で上映]とか、日本だったら想田さん[想田和弘監督、公開待機作品は最新作『港町』]、いらっしゃいますけど、多分あの人たちはそれを選択としてやっていると思うんですね。でも私の場合は、もちろん、私が決めたことだから、選択だけど、あのアプローチが一番正直だったっていうのが、大きいです。何でかって言ったら、さっき、「搾取」って仰っていたけど、私が抱いているぐらいの、ボスニアとかサラエボに対する感情で、例えば、彼らの労働問題とか、社会問題とかを撮ったら、撮ってそれを主題として映画に使ったら、多分それは「搾取」だと思う。それはできないし、したくないなっていうのは思っていました。もちろん、社会問題とか、労働問題とかあるんだけど、それはあるから、あるんですね。映画の中に。ドキュメンタリーって、すごくトリッキーだから、もし私がそういう価値の撮り方をするって決めて、できないこともなかったと思うんです。でも、まあ、すごく醜い映画になったと思う。私が、私のために、もしくは、あの人たちが、私の映画のために使われるじゃないけど、そういう関係性ではなかったから。あの距離感、私が坑夫の人たちと持っている距離感というのが、『鉱』のあの距離感。そこに正直であれたっていうのは、よかったなと思っています。

その場以上には親しくするというわけではなかったんですか?

小田監督:
現場の外では付き合っていないです。

現場だけで撮っていたというのは、他の、外の世界は追わないというのは何かあったんですか?

小田監督:
いくつか会議の様子とか、プロセス(加工処理)の工場をもっと撮っていたりしているんですけど、彼らのお家に付いていって、撮ったりとかもできなくないけど、それは私の興味ではなかった。というか、私が惹かれたのは、あくまでもあの空間と時間の流れなので。

別(山形国際ドキュメンタリー映画祭)のウェブサイトのインタビューで読んだのですが、時間を忘れる感覚ってどういうことですか?

小田監督:
どれくらい時間が経っているか、がわかんないんです。4時間、一瞬だったって思うし、永遠、ずっと終わらへんちゃうかー(笑)って思う瞬間もあるし。何ですかね?でも、やっぱ、陽がないからかな。

それはそこに吸い込まれるとかではなくって、光がないから時間が無化される?

小田監督:
日光がないっていうのは大っきいと思います。それだけが原因かはわからないですけど。

永遠かな?っていうのは出られなくなるかな、みたいな、マジカルな感じではなくて?

小田監督:
いや、出れるとは思っていました(笑)。何ですかね。私は多分、付いて行っているだけで、道を覚えたりとかもしていないから、どの時点で、出口に到着するとかも、わかっていないので。

気づいたら、もう出口だったということも?

小田監督:
大体そんな感じでした。だから、いつまでこれ、後付いて行くのかなー?とか。でも、そういう意味では彼のことを絶対的に信頼していたから。

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ワークショップー話を聴くことが仕事

秋吉台国際芸術村でのレジデンスを2017年1月~3月にされていて、そのワークショップに参加されたのは一般の方なんですか?

小田監督:
そうです。一般の方と8ミリでフィルムレターというのをつくりました。10年後の自分に書くという。

こういうワークショップをするというのは初めてですか?

小田監督:
8ミリは初めてでしたけど、ボスニアで少年院みたいなところで、地元の人権映画祭の人と少年たちに向けてやったことはありましたね。後は単発の講師として、ということは時々ありました。

サラエボの時に?それは面白いですね。作品をつくるんですか?

小田監督:
作品をつくってもらう。映画というか、カメラとかに興味がある10代の子とかを集めて、大使館とかがお金を出して、彼らがグループで、2~3人で一つ短編をつくる、というののチューターの一人だったんですね。私がメインではなくて。

どうですか?チューターとして関わるのは?

小田監督:
難しい。でも、話を聴くことがメインの仕事やと思っています。彼らが何したいか。

それは監督という仕事に似ていたりするんですか?話を聴いて、導いていくというか。

小田監督:
いやあ、わかんないです。でも使っている頭は、全く違います。作品づくりの時と。


自分にとってのシネマとは何か

2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でのインタビューで第一作『ノイズが言うには』のセルフ・ドキュメンタリーを「つくり終えたあと、もう撮ることがなくなったように感じ」、「今も迷っています」と答えられていた。今回この機会に聞いてみたいと思ったのは、『鉱』を配給されているスリーピンの原田さんには、宣伝を担当されていたリティ・パン監督や、ペドロ・コスタ監督へのインタビューでお世話になっていて、自分も背伸びをして普遍的なことを聞いてしまったということもあって、その後これ以上他の人に何を聞いていいか、本当にわからなくなってしまった期間が私自身あったんです。最近、また別のインタビューの可能性を感じられる経験があったタイミングで、小田監督へのインタビューをお願いさせて頂きました。
迷いの中で、映画づくりをどのように継続されたのですか?


小田監督:
『ノイズが言うには』は、私のカミングアウトのフィルムなんです。それは、私は23の時にカミングアウトして、両親が受け付けられなくて、その後、どうにかしないとな、と思っていて。家族に家族を演じてもらって撮ったセルフ・ドキュメンタリー、まあ、ドキュメンタリーなんです。それで、非常に私は私の家族を傷つけたし、私自身も傷ついたんですね。何というか、カメラを非常に暴力的に使ってしまったっていう気持ちがあって。でも、それせざるを得なかったっていうのもあるんだけど。それで何を撮ろうかなってなってて、ボスニアに行って、撮れるもの、目の前にあるものを撮ってきて、『鉱』撮って。タレンツでピッチしていたエッセイの映画を、帰ってきて2016年ぐらいから編集しだして、完成しまして。次、11月くらいから映画祭を回るんです。その中で、自分にとってのシネマって何かっていうのは、一応一つの区切りとして、語っています。

それはその映画を観ないとですね、今インタビューで聴くよりも。

小田監督:
『鉱』とは全く違う作品です。

これはピッチングの時はドキュ・フィクションと言われていて、ご自身の名前が主人公となっていて、ご自分で出演されているんですか?

小田監督:
私は出ていないですけど、私の声が入っています。ナレーションじゃないけど。

その中で次へのステップがそこから始まって行くというのがわかるっていうことですね?楽しみにしています。日本で観れる機会があったらいいです。

小田監督:ありがとうございます。

[後日、新作『あの優しさへ』(Toward A Common Tenderness)は、ドイツ、ライプツィヒ国際ドキュメンタリー映画祭(DOK Leipzig)、ネクスト・マスターズ・コンペティション部門でのワールドプレミア上映が発表された。]

タレンツ・トーキョーの日本での1週間くらいの期間はどういったものでしたか?

小田監督:
タレンツ・トーキョーってピッチのトレーニングがメインなんですね。私は得意じゃないから、制作する前は何するか、あんまり、プロジェクトについて、わかっていないので。何がおもしろかったって言ったら、同年代の方が多かったですけど、やっぱり参加している人のものすごい熱意とか、準備の量とかを感じれたのがよかった。ちょっと、私とはつくり方違うけど、でもそういうのは刺激になりましたね。方向性は違うかもしれないけど、自分もがんばろっ!と思いました。


『鉱 ARAGANE』公開に向けて、坑夫たちを描く

監督ご自身のTwitterに『鉱 ARAGANE』の「東京公開に向けて、しばらく作品から離れていたぶんの距離を埋めるために、坑夫の方たちや坑内の様子など、ちょっとづつ描いていこうと思います。ゆっくり、あの地下世界に戻っていければ」と、ありました。サラエボでの撮影期間中も坑夫たちを描かれていたんですか?

小田監督:
8月、私はずっと違う制作で、ロスにいたんです。日本に9月3日くらいから帰ってきて、その日から突然描き始めました。

それ以前は絵は描いていなかったんですか?

小田監督:
次の次のプロジェクトで、メキシコのプロジェクトなんですけど、それは絵も同時進行で描いているんですね。それは4月くらいから描いていたんですけど。今回、東京で上映して頂くっていうことになって、何かあれは戻ってくるためにというか、自分でもできることをやってみようと思って、描き始めました。

日々、他のお仕事をされながらも、眠気にがんばりながら描いていたりっていう。さらに自分を追い詰めるじゃないですけど、サントラをつくるという時に、一枚、一枚、違う絵にしよう、ジャケットにしようって、それはすごいなあって思っています。

小田監督:
修行僧みたいやなって言われています(笑)。

追い込むタイプなのかなって。

小田監督:
でも、やれないことは、ないから。いや、わからないですけど。がんばります!

音楽はつくられるんですか?

小田監督:
初めてつくってみました。

すごいですね!100人ですよね、買えるのって?100人に入れるようにがんばりたいです(笑)。

スリーピン原田さん:
初日に来てください(笑)!



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『鉱 ARAGANE』

監督・撮影・編集:小田香
監修:タル・ベーラ(『ニーチェの馬』)
プロデューサー:北川晋司/エミーナ・ガーニッチ
提供:film.factory/FieldRAIN
2015年/ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本/DCP/68分 配給:スリーピン

公式ウェブサイト:http://aragane-film.info


10月21日(土)〜新宿K’s cinemaにてロードショー、以下全国順次公開

■『鉱 ARAGANE』トークイベント
新宿K’s cinemaにて

日時:10月21日(土)21時の回上映前
ゲスト:樋口泰人さん(映画評論家・爆音映画祭ディレクター)&小田香監督

■【小田香監督短編作品特別上映】
日時:
各回『鉱 ARAGANE』の前に上映
10月26日(木)『呼応』(2014年・19分 監修:タル・ベーラ)+小田監督トーク
10月27日(金)『ひらいてつぼんで』(2012年・13分)
10月28日(土)『FLASH』(2015年・25分)


*詳細は公式Facebooktwitterにてご確認ください。



小田 香 監督

1987年大阪府生まれ。フィルムメーカー。
2011年、ホリンズ大学(米国)教養学部映画コースを修了。卒業制作である中編作品『ノイズが言うには』が、なら国際映画祭で観客賞を受賞。東京国際LGBT映画祭など国内外の映画祭で上映される。
2013年、映画監督のタル・ベーラが陣頭指揮するfilm.factory (3年間の映画制作博士課程)に第1期生として招聘され、2016年に同プログラムを修了。2014年度ポーラ美術振興財団在外研究員。2015年に完成されたボスニアの炭鉱を主題とした第一長編作品『鉱 ARAGANE』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2017・アジア千波万波部門にて特別賞を受賞。その後、リスボン国際ドキュメンタリー映画際やマル・デル・プラタ国際映画祭などで上映される。
映画・映像を制作するプロセスの中で、「我々の人間性とはどういうもので、それがどこに向かっているのか」を探究する。



『鉱 ARAGANE』(c) film.factory/FieldRAIN

POSTED BY
Junko HONMA
Junko HONMA / Movie Journalist
「クリエイターとのダイアローグからそのさきへ。そんな“場”をつくっていけたら。」
2012年より映画の上映会や配信の運営、PR、TVドキュメンタリーの制作の現場を経て、“ことばで伝える”ことに立ち返り、表現を取り巻く状況が大きく変わりゆく時代の中で国内外で“領域”を越えて、新たな取り組みに挑戦しつづけるクリエイターのいまをお伝えします。本サイト「theatre tokyo/ creators park スペシャルインタビュー」ほか、ウェブマガジン『HYPEBEAST.JP』ではライフスタイル、カルチャーの翻訳を担当中。大阪の制作、エキストラで初参加させていただいた、リム・カーワイ監督作品『Fly Me to Minami~恋するミナミ~』DVD/iTunes配信も絶賛発売中!!