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theatre tokyo / creator’s park スペシャルインタビュー

2018.05.08 up
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Vol.21 この町で、わたしはわたしを歌う
『大和(カリフォルニア)』宮崎大祐監督



text /portrait:Junko Homma

オスプレイが配備される東京の横田基地と、神奈川の厚木基地との間、双方にほぼ40キロ地点で私は暮らしている。これだけの距離でありながら、独立国家でありながら、自らの主権の及ばない米軍基地がそこにあるということ以上に、その土地の日常の風景をほとんど知らない。4月7日より新宿K’sシネマにて劇場公開された宮崎大祐監督の新作『大和(カリフォルニア)』。2011年の東日本大震災後、「いつすべてが消えてしまうかわからない」という不安の中、監督自身の地元、神奈川県大和市で、一緒に仕事がしてみたかった俳優とともに撮影したという本作。タイトルにある「かっこ()」は、「厚木基地の住所はカリフォルニア州に属しているという都市伝説がある」というこの町を分断する基地のフェンスを視覚化しているのだそうだ。アメリカと日本、幾重にも従属した関係性の中でのもがきを、ヒップホップというフェンスの向こうからやってきた音楽文化を通して、わたしたちは自分の「声」で表現することがどれだけ可能なのだろうか?「映画的風景」のないと思われてきた日常の広がる土地で、この音楽と青春のファンタスマゴリック・ガールズムービーをどのように立ち上げたのか?『大和(カリフォルニア)』に続き、中国、東南アジアのフィルムメーカーたちと共同製作を手がけ、この初夏からは池袋シネマ・ロサにて日本やアジアのインディー映画を紹介・発信していくなど、近年の日本インディー映画界に新たな潮流を起こし、国内外での活躍に益々目が離せない、映画監督でプロデューサーの宮崎大祐氏にお話を伺った。


『大和(カリフォルニア)』序章:「仲間を見つけて冒険せよ」



大学までは映画について本格的に考えたことはなく、生活の一部として嗜んでいた。「むしろアートと言えば、中学入ってすぐに音楽を始めた」のだと言う。通っていた、朝賛美歌を歌うところから一日が始まる私立のプロテスタント系学校は、「賢くて、体力もある文武両道のスゴい同級生ばかりの学校」だった。「そんな中で落ちこぼれだったので、毎日居残り勉強させられ、その後はマラソンをさせられ、休みの日も部活や特訓みたいな授業があって、ほぼ休みがなかった。夏はプールで強化合宿」。「社会で生き残るためには、大人になるには人間てこんなに逞しくならないといけないんだ」という過酷な日々を過ごす。「その経験を経て、どこか兵隊みたいになった」、「心が死んで」いたから、引っ越した先の横浜で次に通った中学の「暴力的なほどの退屈さ、何もなさ」には、「ヤンキーのふるう原初的な暴力なんてどうでもいいなって」感じるほどになった。続いて、川崎市内の「予備校のような高校」では「生徒が爆弾を持っていた、爆破予告が云々、今すぐ退避してくださいみたいな珍妙な事件がよくあった」。「ほとんど学校にも行かず、実際に役立つ知識や賢さを追求していた」

「俺、中学の時まで部活で野球やっていたんですよ。野球選手になるのが子供の頃からの夢だったんです。それが、背が全く伸びなくて。高校に入ると野球部が強すぎて、基本的には推薦じゃないと入れないみたいな雰囲気になってしまいました。学校に行った日はよく野球部の練習を観に行っていて、その時、ものすごいピッチャーがいたんです。誰だか知らないけど、あんな球、一生投げられない、辞めてよかったって思ったのが、後の松坂大輔でした。当時甲子園に出られるレベルの投手が投げる一番速いストレートよりも彼が投げる変化球の方が速かったので、全く理解ができなかった。いまだに忘れられない。甲子園の決勝でノーヒットノーランってなんですか?他にも、高校のサッカー部にバケモノが来るから観に来いって言われて、あまりの凄さにこれはマラドーナ以上だと、絶句したのが後の小野伸二です」
あまり高校へは行かなくとも、当時流行っていたラジオの熱心なリスナーとして、「『オールナイトニッポン』などによくお笑いのネタなどを送り、たまに採用されたので自信が付き、放送作家など、人を笑わす裏方の仕事に就きたいと思った」




ー高校までも相当濃い時間を過ごされていますけれども…、卒業後は?

宮崎大祐監督:
高3の時の進路面接で「FBIに入るにはどうしたらいいですか?」って先生に質問したら、「日本人じゃ難しいかもしれないけど、ひょっとしたら警察官僚になって登りつめていけば、インターポール経由で入れるかもしれない」って言われました。今思えば、その先生がいなければ、多分今日の僕はないようなインフルエンサー、カリスマ教師でした。現国の担当だったんですけど、毎回授業が社会学のようだったんです。どうして小室哲哉は売れているのか?ダウンタウンととんねるずの笑いの違いは?そもそもなぜ人は笑うのか?っていうような授業が繰り返されました。みんなその先生の授業は好きで、先生は長期休暇の度に「お前はこの本が適っているから、この本を読め」って一人一人に課題本を出して。怪我でサッカーを辞めたマイルドヤンキーの同級生が、先生の影響で急に現国だけ100点採ったりするようになりました。少なくとも僕はその先生に根本的な人生観を変えられた。何かのスイッチを入れられた。「宮崎、人生はドラクエだ。先生は最初の村の娘と結婚しちゃったけど、お前は行けるところまで行け。せめてレベル20くらいまでは。旅をして、どんどん仲間を見つけて冒険をしてほしい」と言われました。何故だかその時は泣きそうで。ホントその哲学は以後少しずつ姿を現しますが、大人になってからの僕の人生の重要な指針です。その先生との関わり以外は、高校生らしい青春や思い出はほぼなくて。大体グレた友人たちとつるんで時間を潰していました。家族がみんな海外に行っちゃって、僕だけ残されていたので、全く無為にその日その日を暮らしていました。

僕は家が非常に厳しくて、父は銀行員で、母が教員の家で育ちました。所謂なルートから外れた人は人間じゃないぐらいの家だったので、流れで自動的に大学に行こうということになりました。しかしちょっと考えてみると、高校時代ですら既に勉強や将来に興味がなかったのに、大学に行く意味がよく分からなくて、しばらくフリーターをやっていました。警備とか軽作業とかそんなことを淡々と。親には高校からストレートに大学に行かなかったことをすごく泣かれましたね。受験の日に僕、『リング2』を横浜のムービルに見に行っちゃったんですよ。当時は全く映画云々とか考えていなかったですけど、ひょっとしたらそこから既に映画への運命が引かれていたのかもしれないですね。『リング2』と『死国』っていう、二本立てを見て。これだったらやっぱ某国立大の受験に行った方がよかったかな……とも思いました。それにしても本当に弱い人間だった。疑念ばかりで全く前に進めない。

たまたま入った大学は本格的につまらなくて、数ヵ月でいわゆる大学生的な生活にも飽きてしまいました。虚無的なのでしょう、根本的に。すぐに辞めようとしたんですが、また親に泣かれたりしまして。単位が楽な学校のはずだったのですが、これが相当難しく。いまだに月一ぐらいで、単位が足りていないという悪夢で起きるんですよ。小さい窓から成績表が差し出されて、あと何単位足りていませんって言われる夢を見るんです。僕だけかと思ったら、同級生たちも今もその夢を見るそうです。しかし全く無軌道な十代だったと思います。夢も目標もへったくれもないくせに、すぐ反抗したがる。

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ーそれでどうして映画を?

宮崎監督:
で、大学を辞められないので、何かサークルとか入って気を紛らわせようと思いました。今までの人生でスポーツ以外に時間を割いたものってなんだろうって考えると、意外と映画を見ていたことに気づいた。幼稚園から小学校4年までアメリカの中部・シカゴに住んでいたんですけど、その時に日本はバブル真っ最中で、うちの父がよく当時最新のVHSのテープとか、カメラとかを買ってきたんですよ。近くにブロックバスタービデオ*という、もう潰れちゃいましたけどチェーン店があって、そこに続々と過去のアカデミー受賞作品とかが入荷しているのを週末に父が買いに行って、家にはVHSのコレクションが出来ていました。シカゴは、秋口くらいから寒過ぎて、冬は本当に零下20とか30度とかいうそういうレベルで、あまり外に出られなくなっちゃうんで。直接空気を吸うと肺が凍っちゃうから、マフラーをしないといけないレベルで。それで家にこもっていると当然やることがないんで、これまた当時最新のファミコンをやるか、映画を観るか、日本から送ってもらったテレビ番組のビデオを見るかして過ごしていました。週末になるととりあえず映画を見るというのはずーっと続けていました。スピルバーグやらキャメロンやら大量に見ていましたね。当時丁度第二次ハリウッド黄金期でしたし。

*ビジネスニュースサイト『BUSINESS INSIDER』によれば、2018年4月現在、「長い冬とWiFi速度の遅い」アラスカで最後の3店舗で営業している。

で、映画をもうちょっと真面目にやってみるかということで映画サークルを見学してみたりしたんですが、「好きな映画は何だ?ゴダールって言わないとお前はダメだ」みたいな風潮が依然として強く、違和感を覚えました。だって何を見ようがそれは個人の勝手でしょ。僕が大学3年くらいの時に蓮實重彦が「スピルバーグとかがいいじゃん」って雰囲気になったのがきっかけで、アメリカのメジャー映画が認められるようになったと思うんですけど、基本的に映画サークルにおいては映画と言えばフランス映画だったんです。今となっては僕もフランス映画は好きですが、育ったのはやっぱりアメリカ映画なので、制作系のサークルはいいかなと思ってしまいました。
それで入った批評系の映画サークルに異常に行動力があるスゴい先輩がいたんです。単館系映画の配給会社にいきなり行って雇ってもらったり、自分が書いた批評を映画関係者のパーティに行って配ったりしていて。その先輩からの影響で批評を書きはじめ、その先輩を追っかけてどんどん映画にのめり込んで行きました。今のこの「まず動いてみる」行動力もその影響かもしれません。当時は単館映画がブームで、渋谷中沢山のミニシアターがありました。アミューズ、ユーロ、セゾンやもちろんライズもあった。そういうところを連日ハシゴして行って、合間にアテネ、日仏に行ったりする生活がはじまりました。大学は籍だけおいて、定期を使って東京の映画館に行く。朝から晩までひたすら映画を見て、「この映画はこうだ」って先輩と問答する日々でした。

そんな先輩も卒業し、僕の中で指針がなくなり、サークルも解散し、どうしようかなって思っている時に、ちょうどDV1000かな、2000かな、ソニーのデジタルビデオが出て、Macを買えば、自宅で編集できるみたいな時代が訪れました。それで、TSUTAYAの監督コーナーの映画は大方見てしまったし、当時ブームだった「ドグマ95」*の映画などを見ていて、自分でも映画制作が出来るような気がしてきた。最初は高いカメラは買えなかったので、その辺の電気屋で買った小さなカメラでとうとう自分の部屋を撮ってみました。弟を役者で使って。多分、21か22くらいですね。少し遅いですけど。そうしたら恐ろしくひどい映像が出来上がって、愕然としました。普段見ている映画と何がこんなに違うんだろうって。

*ドグマ95…ラース・フォン・トリアーらによって1995年にデンマークで始まる、10か条の「純潔の誓い」によって技術的な効果を排し、カメラと身体とロケーションのリアリズムが本質的に持ちうる可能性に立脚した映画製作のムーヴメント。

ー映画を見る眼は育っているけど、実際にやってみたらー。

宮崎監督:
そうなんですよ。ビジョンを表現できないんです。ただ撮ったビデオ素材と映画なるものの間には「演出」と呼ばれる作為があると思うんですけど、それが絵なのか音なのか、被写体なのか全然わからなかった。映画の「演出」なるものを理解するのに、いや、まだ多分全く理解していないんですけど、何となくこうかなって思えたのが恐らくプロで仕事も少しして30歳過ぎてからです。


「困った時は立ち止まって考えてみる」



学生時代後半に重要だったのは「高橋[世織、現日本映画大学附属図書館長]先生という写真とか映画のゼミをしていた先生」との出会い。それは「新たな師匠との出会い」だった。そこからより一層映画に、アートにのめり込んだ。「家族との関係などもあり就活」するも、同級生もみんな苦労した超就職氷河期。丸の内にある商社の圧迫面接で「君は本当は何がやりたいんだね?」という質問に吐いた「僕は映画やりたいです!」という言葉とともに方向性が決まった。大学卒業後、再びフリーターに。「ぴあ[フィルムフェスティバル]とかあるから、そういうのに引っかかったら、何とかなるだろうってアバウトに撮ってたんですけど、作るものが一向に向上しなくて」。

そんな時、四国で開催されるというニューヨーク大学(NYU)の映画制作ワークショップが四国で開催されるという新聞記事を目にする。1カ月ほどのワークショップは「思っていたような刺激」はなかったものの、そこに来ていた厳しい助手の方に強い影響を受けるようになる。「ずっとフジテレビのドラマ部の月9とかのディレクターだったんだけど、辞めて、黒澤明の推薦文を持って、NYUに行った人」で、「こうすると映画っぽくなるよって、いつも非常に丁寧にアドバイスを書いてくれるんですよ。口は悪いんですけど。絶対に 1日3本映画を観ることとか、これは必見っていう映画のリストをもらって。映画監督というものになるのはそんなに簡単なものではないっていう哲学みたいなものもひたすら送られてきて。これまた師匠ですね」。そこで作った短編映画がNYUの学部長にも認められ、「You、すぐに来ちゃいなよ」と言われ、能力の落ちていた英語も留学のためにと懸命に勉強した。いざ迎えた受験の直前のタイミングで、褒めてくれていた学部長は学部長選挙に落ち、「ラモーンズとかテレビジョンとか、ラップも映画もニューヨークなるものに憧れて、NY派の監督になりたかったのに」、受かったのはNYUではなく、「ハリウッド式」のカリフォルニアの大学院。親も「こうなったらみんなでサポートする」と言ってくれるも、家庭の経済状況を考えると葛藤があった。




ーどうして映画美学校に?

宮崎監督:
困った時は立ち止まって考えてみるのが一番です。元々映画美学校の存在は知っていて、先輩方の作品も見ていたんで、学費も安いし、1年くらい映画美学校行って、自分は本当に留学するのに値するレベルなのか、ちょっと考えてみようと思いまして。それが、20代半ば。高知のつながりでそれとは別に、商業映画の現場にスタッフで行くようになっていました。照明助手から入って、長野の雪山で夜通し照明を支えている仕事が最初の仕事でした。そこからはじめて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、監督に向けて上がっていきたいと思っていました。いきなりコンクールでバーンていうのは既にあまり考えていなかった。一歩ずつでもいいから、映画を撮りたい、映画に関わっていきたいという感じでした。

学校には1年目はわりと通っていたんですが、2年目は現場が忙しくなり、全然自分でも撮る間もなく。その頃ですよ、筒井武文さんが10年ぶりだか何だか、久しぶりに撮るから、脚本を募集します、みたいな企画を聞いたのは。

ーそれが『孤独の惑星』ですか?

宮崎監督:
そうです。黒沢さんの組で、帰れない日が多くて、漫画喫茶でけっこう泊まっていたんですよ。「このまま、こんなことやっていたら、絶対ヤバい、40とかで死んじゃう」って思っていたんで、何時間かしか寝れなくても、この脚本をとりあえず書き上げようと思って夜な夜な漫画喫茶で書いていました。当時の筒井武文さんにはとても怖いイメージがあって。普段はにこにこしているんですけど、映画について語り出すとすげえ怖い。みんないつも講評などで緊張していました。そんな筒井さんがなぜか僕の脚本を選んで下さった。筒井さんはとにかくとんでもない数の映画を観ていて、批評家としても日本屈指。大学時代から筒井さんの批評を図書館で片っ端から読んだりもしていました。すごい映画的知性だとは思っていたので、それだけ畏敬も深く。今では家族みたいに慕っていますが、ほんと師匠の中の師匠ですよね。

ーこのインタビューの前に『孤独な惑星』のDVDを借りて観たんですけど、特典にあった上映後トークでベタ褒めな感じの印象でした。

宮崎監督:
本当ですか?すごい嬉しかったのは、何年か前に筒井さんが酔っ払っている時にふと、「美学校時代にお前を見つけてあげられなくてごめん」と言ったことがあって。でもまあ、後にそんな感じで掘り出してくださったのを本当に感謝しています。そして、『孤独な惑星』の最初の打ち合わせでカメラウーマンの芦澤明子さんと『トウキョウソナタ』以来の再会をすることになります。早速、「ああ、あんたダメダメ助監督だったけど、けっこう面白いシナリオ書くじゃない」って言われて。それから今に至るまで、これまた家族のように扱ってくださっております。その後仕事はしていましたが、お金もないし身体もきついし、この先どうしようって時に突然芦澤さんから電話がかかってきて、「あんた、撮りたい台本ないの?私が撮ってあげるから、50万でも100万でもいいから撮りなさいよ」って言われ、驚きました。これが長編一本目[『夜が終わる前』]ですね。撮影まで色々と芦澤さんにケツを叩かれて、諸々の問題を起こしつつどうにか撮影しまして、それが2012年の秋にユーロスペースで公開されるに至りました。



バージョン 2



『大和(カリフォルニア)』
神奈川県大和市で米兵の恋人がいる母(片岡礼子)と兄と暮らし、アメリカのラッパーに憧れながら、自分自身のラップ表現を見つけようとしている、主人公サクラ(韓英恵)、そこに母の恋人の娘で、沖縄出身の日本人母を持つレイ(遠藤新菜)がカリフォルニアからやってくる。




ー宮崎監督が普段聴いているヒップホップはどんな感じなんだろうと思って、4月初めに下北沢の本屋B&Bで開催された音楽ライターの磯部涼さん[『ルポ 川崎』サイゾー、2017年]との映画『大和(カリフォルニア)』公開記念トークイベント「磯部涼×宮崎大祐『極東の要所・大和と川崎とヒップホップ』」を聴きに行ったんです。やはり男性のアーティストを聴かれていましたね。本作では、相模の看板・NORIKIYO、「インターネットがホームタウン」というCherry Brownら男性アーティストに参加してもらいつつ、韓英恵さん演じる女性ラッパーを主人公にすえています。どのような思いで女性ラッパーを描こうと思ったんですか?

宮崎監督:
男性ラッパーが特に好きということはありません。女性のラッパーももちろん聴いています。現状での比率の問題だと思います。この映画のモデルになったのは女性ラッパーで、横須賀のとあるフィーメール・ラッパーと、後ろにポスターが貼ってあったりしますけど、アジーリア・バンクスというアメリカのラッパーがいます。アジーリアが青い髪だったりしたんであんなイメージになりました。

ーそれでサクラの髪も緑に!

宮崎監督:
そうですね。あの日はたまたまラップのトークだったので、ラップ[MSC「Shinjuku Running Dogs」]を聴きながら下北に行ったんですけど、男でも女でも、それこそラップに限らず音楽ならば何でも聴いています。

ーしかも、リリックを聴いているよりはダンスミュージックのように聴いているというのが意外に面白いなと。

宮崎監督:
僕は完全にそうで、最初聞くと歌詞は、相当意識しないと入ってこないです。基本、踊るための音楽として聴いています。あとから歌詞に気づいて、より一層素晴らしいなと思います。

ー他にどんな音楽を聞くのですか?

宮崎監督:
フォーク・シンガー、女性の歌い上げる系のミュージシャンは一貫して好きですね。賛美歌とは言わないけど、神様に向かって歌っている感じがすごく好きです。女性ラッパーとフォーク・シンガーの間を目指して、この映画のラップはラップというか、ポエトリーみたいな感じになったのかもしれない、と今にして思うんですけど。それでも、音楽好きのはじまりはロックです。

ーそれにしても何で女性を描きたいんですか?何で女性を通して語りたいんですか?

宮崎監督:
今までのインタビューでも何度か言ったんですけど、男を描いても面白くないんですよね。男が描くにも男ってもう既に分かっているし、僕は何でも分かっていないことにチャレンジしたいというのがすごく強いんですよ。女性も多分分かんないし、分かるわけがないんですけど、その知ろうとする試み、過程に美を感じます。

ーそこで生まれてくるものみたいな

宮崎監督:
その徒労の中に喜びを見出す。だから新作の『TOURISM』にしても「宮崎は乙女心を持っている」と先日お客さんに言われたんですけど、まあ、基本持っていないとは思うんですけど、さっきも言ったように分かろうとする過程が好きで。例えば『孤独の惑星』もOLが主人公だし。その後書いたいくつかの脚本作も大体女性が主人公で。男はもう分かってるから、大体分かっちゃうから、あんまり興味対象にはならない。ただし、興味対象にはならないんですけど、そこでおざなりにするのもよくないんで、だって、自分が男ですし、「何かもう一手ないの、男?」っていうのも同時に考えます。

ーアーティストが主体のミュージックビデオの制作と、ご自身が監督として音楽を主題とした映画の制作の間でどういった作用が双方にありますか?

宮崎監督:
僕が今までお仕事をしたミュージシャンの方々は映画好きな方が多く、制作時にカット割りや脚本まで書いてきてくださる方もいました。ただ、こっちはこっちでずっと映画をやってきた自負もあるので、映画っぽくMVを撮りたいならば信頼して全部任せてくれ、MVっぽくMVを撮りたいのならば他を当たってくれ、自分で撮りたいものが分かっているのならば自分で撮ってくれというスタンスに変わってきました。こういう予算しかないですけど、好きにやってくださいっていう場合が一番僕はやれるっていうか。本当は予算も最低限あって、好きなようにやらせていただければクリエイティブ全開なんですけどね。常に映画をやっている人しか、こういうものって思いつかないよねっていうことをやりたいと思っていて。海外の有名なMV監督の作品はちゃんと作家性があって、ああ、こいつが撮っているっていうのが見れば分かるじゃないですか。それは信頼されて任されているからだと思うんですよね。

ーミュージックビデオの尺の感覚だったり、テクニックだったりが今回の映画に影響を与えたっていうのはありますか?

宮崎監督:
そうですね。フェードイン、フェードアウトとか、以前は絶対使わなかったんですけど。自分は古典的な監督だと思っていたので。それが今回敢えて使ってみて、面白いことが多かったです。演出面においても、変化はありました。ここ最近、ミュージックビデオや、動画サイトでバイトしていたりしたこともあって、携帯動画や監視カメラなど様々な種類の動画が世に溢れているのを見ていて、そういうのを反映して現代的な表現をした方が古典的でフランスのホコリを被った作家性よりも面白いなって思って。そこを特に意識して相当やっているのが、次の『TOURISM』なんですけど。様々な映像がある程度のクオリティで見れるようになった時にそれらの集合体としての「映画」みたいなものもう一度再考する必要があるなと感じています。だから『大和』もそういう考えの萌芽みたいなものは出ていると思います。映画は自由な方が楽しいと思いますし。



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「ジャズから引いてきた即興芝居のセオリー」




ー兄と一枚の布で部屋をシェアしないといけない閉塞感のある自宅との対比で、孤独なサクラはスクーターで自分の思いのままに疾走します。また、放置されているお気に入りのキャンピングカーの中で自分の詩作に浸る時間もあれば、そこにレイが加わる時間もある。時間や空間というのはガールズムービーの肝だと思います。二人がエモーショナルに共に時間を過ごす、あるいは対峙する空間のリアルさ、自由さを、撮影の芦沢明子さんと、二人の俳優とともに、監督はどのようにつくり上げていったのですか?

宮崎監督:
空間の話で言うと、全てのフレームや位置関係だけで物語るのがアメリカ映画であり、映画であると師匠の筒井武文監督から死ぬほど言われたんです。ただ今まで撮るのが精一杯でそこまでは出来ていなかった。やっぱり役者の方の対応とか、あと現場のリアリズムというか。しかし今回は時間はありませんでしたが、たまたまそこにフォーカスできた。視覚的に二人の関係性が分かるというのは重要なキーワードですね。
だからご指摘された通り、キャンプカーの中での位置関係、それから外へ出て、って流れは全部計算してやっているんです。ただ、こっちの目論見と実際に演じてみてのフィーリングっていうのが合わない場合も当然あります。恐らくですが、対役者の演出で一番大事なのは「違和感」を見つけることです。どうもこの動きが不自然に見えるとか、ここが何か生き生きと見えない、このセリフを言うときに顔がこわばるなどということを見出し修正していく作業が僕にとって一番重要な「演出」です。「芝居を固める」という言い方をよくしますが、ここが出来ていない、撮りたいものを撮っているだけの映画は見る気もしないので。思いとしてはこう、最終的にこう動ければいいのだけど、やってみて動きづらかったら、自分で動いてみてください、話し合って修正しましょうっていう感じで演出していきます。二人が実際に持っているものを引き出しつつ、こっちのやりたいことも同時にやってもらって、より高いレベルでのケミカルを探ります。それはスタッフとの関係性もそうで、例えばカメラマンの芦澤さんも事前のプランがあると思うんですけど、僕がこう撮りたいっていうのもあるし、そこのすり合わせを現場で即興的にやっていきます。それが監督の仕事であり、演出一般なのかなって最近何となく思っています。

ーその方法論というかやり方は今回具体的になっていったんですか?

宮崎監督:
前作から仕事や『5TO9』を経て様々な試みの末に辿り着いた感じですね。昔の演出法はついていた黒沢清監督の影響が強かったです。黒沢さんはわりと役者を匿名化していく、抽象化していく演出をされる方で、それは多分、芸術的嗜好はもちろん、Vシネで準備期間がないとか、リハが出来ないとか、そういった現実の中で研ぎ澄まされていった末に生まれた演出方法だと僕は思っていて、それがそうそう真似出来ない天才だというのを僕も目の当たりにしました。一方で、当時僕がお世話になっていた先輩が瀬々敬久さんの弟子みたいな方で、その方は先程も申し上げた「違和感」を除去して人が現実に生きているかの如く、具体的に「芝居を固める」アプローチをする人でした。その二つをどっちがいいのかなって探り探りやってきたのが僕の演出の思想的遍歴で、長編一本目はやはり黒沢さんっぽくて、そこに自分の持ち味を足すみたいなイメージだったんですけど、今回は瀬々さんの弟子から教わった感じを同量入れつつ、ここ数年考えてきた、ジャズから引いてきた即興芝居のセオリーを入れています。だから、僕の一本目の映画『夜が終わる場所』は抽象度が高いですが、『大和(カリフォルニア)』は韓さんの役は韓さんでないと成立しないし、遠藤さんの役は遠藤さんでないと成立しないと思います。

ーその距離感で、その関係性で爆発するエネルギーをすごいスクリーンからまともに受けた感じが心地よくって。

宮崎監督:
そこは俳優の方もちゃんとピークを持ってきてくださったというのがあると思います。普段は、「はい、そんな感じで。あなたの持ち味を生かしていきましょう」っていう感じだけど、ここのシーンではもうちょっとこういうことやってくれませんか、みたいに煽ったりするといい感じで爆発が起きたというか。前日の夜とか、明日のこれはどうのとか、俳優と一緒にいる時間、全てが演出なんです。好きだけどまだ告白していない女の子と過ごす時間に近いかも。ちょっとずつジャブを効かせて、最後にストレートを打ち込む。それで相手が倒れなければ自分が倒れる。僕の演出は山場のシーンに向けて、カメラが回っていない時間でもちょっとずつ演出を重ねていくっていうイメージです。


「信仰に近い希望、絶対に折れない希望を映画で提示したい」




ー前のお話で出た撮影の芦澤さんやキャストとの関係性、演出空間のつくり方につながる質問なのですが、日常の風景(ストリート)で歌う割礼(宍戸幸司)や映画のクライマックスの一つ、GEZANが登場するシーンは、今、ここにあるのに、それでいてサーリアルな、異次元の、重力のないところから聴こえてくる響きのようでした。まだ自分自身の表現方法を見つけられないで現実の重力に押しつぶされるように、とことん追い詰められている孤独なサクラとそれらの<重力から解放された>シーンのコントラストに宮崎監督はこのように映画的、「シネマティック」な、ファンタスマゴリアを託すんだと驚いたんですね。昔のメリエス[ジョルジュ・メリエス(1861-1938)]とか、そういう時代の映画を観た時のような幻想空間、走馬灯といった日本語になっているかと思いますが。シネマティックというとあまりにも当たり前過ぎるんですけど、映画を観て興奮するというか。他の映画だったら、性的なシーンであったり、ドラッグなどで表現されるような即物的な形ではなくて、音楽のパフォーマンスと役者のエモーショナルな部分で、精神的にも身体的にもそれを表出させているところが、本当にクライマックスだなと思いまして。しかし、そこから監督は大和の日常の重力を感じさせるところにまた引き戻すじゃないですか。これまたすごいなって驚きました。監督は映画の中でそのような形で「幻惑」を私たちに見せながらも、ストーリーの語り口としては現実にちゃんと着地させるということをどのように考えて今作をつくられたんですか?

宮崎監督:
やっぱり大和っていう、ほぼ何にもなくて、今の言葉で言うと、「シネマティック」な景色も一切なく、「シネマティック」な要素もほぼない街で「映画」を撮るということはどういうことなんだろう?というところから考えました。ひどい現実をありのままに見せて世の中ひどいですよ、っていう類の映画があります。そういうの、僕はあまり好きではなくて。「世界がクソ」なんてことは子供の頃からわかっているから、2時間もかけて改めて見せてくれなくていいよ、と思っちゃうんですよ。僕がやっぱり好きなのは、そういう現実があったとしても、何としてもそこにある種の希望を見出す。ただし急ごしらえのニセの希望なんかではなくて、命を削って死ぬほど考えた末の、リアルでありつつ、ある種の信仰に近い希望、絶対に折れない希望を映画で提示したいんです。

そして映画にはその力があると思うんですよ。映画ってさっきのメリエスではないですけど、フィクションとリアルが高次で融合している表現形態ですよね。ファンタジー映画が好きなのもありますけど、フィクションの力を借りて現実を変えることもできれば、現実の力を借りてフィクションが変わることもあるし、その相互作用みたいなのは映画というメディアの持つ一番すごい力だと思っていて、あらゆるアートの中で一番リアリズムを取り込むし、同時にある種の夢が一番具体的に表現できてしまうメディアです。現実の最果てみたいなもの、全てが均質化していて、とうてい「シネマティック」なんて言えない景色が、ものすごくフィクショナルな空間に転じ広がって、虚実はじめ、国境や性差、この映画で繰り返し描いている境目がスーってなくなっていくイメージです。もちろん何らかの正当性を担保するためにフィクションを仮構するのは危険なので、そこには注意しながら。

この映画は国家や言語・貨幣など、様々な暴力システムでありながら、人が効率よく生きるために作られたシステムに縛られちゃっている人たちが、その息苦しさから這いずり出ようとする話だと思うんですけど、映画であったり、音楽というのはそこから、言語化できないある種の飛躍ができると信じています。素晴らしいコンサートや映画を体験したら、何だかよくわからなかったけど、見る前とあとで景色が変わった、世界が色づいたってことはあると思うんですよ。そういう瞬間をこの映画でも引き出したかった。君の目の前に広がる何もない景色ですら、そういう瞬間、視野が君臨しうるという瞬間を見せたかったんです。

一方で注意しなければならないのは、後半のGEZANが出てくるあのシーンで映画が終わると、それは現実の勝利でもなければ、主人公の勝利でもなければ、ただの映画的快感であったり、芸術的快感であったり、システムの外に瞬間的に出られたことの快感でしかないとも思っていました。だから、そこで終わると逆にすごく閉じてしまう気がした。確かに言語化できない素晴らしいシーンで、よかった、楽しかった、アドレナリンが出た、映画っていいよね!とは思うんですが、そこからもう一回現実に切り返して、映画の中で味わったことを今また現実の中に落とし込んで、またそういう瞬間を現実の中に見出していこう、育てていこう、またそう信じてずっと生きていくってどういうことなんだろう、というところに戻って来て欲しかったんです。

ー何もない匿名的な郊外でフィクションを描くことについて、もう少しお話しください。

宮崎監督:
フィクションのような現実って自分の身の回りにめちゃくちゃあふれているじゃないですか。10年、20年前ってよく「外部」っていう言葉が使われていて、ネットなどの発達で「外部」がなくなっちゃった世界、フラットになっちゃった世界ってどうするの?っていう時代に、横に、外に掘るのではなくて、下に掘るっていうイメージが10年くらい前から出て来ました。ある町の聖地化というか、そういう想像力だと思うんですけど。ただし危険なのはこの思想は偽史にもすごく容易に接続されるので、ありもしないことに依拠して「自分の町はすごい」みたいな危険なナショナリズムに行きやすい。だから、何もない景色に、美しさ、ささやかな奇跡を見出すことは必要なんだけど、それが何らかの正しさにつながっていないか、常に検証しながら、下に掘り進め、そして横にも広がっていかなければならないと思います。この作品はそういった縦横の思想の交わる、十字架のような場所を、映画に出来ればと思っていました。



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アジア、日本、アメリカ、そして「大和サーガ」




ー磯部さんとのトークイベントでも「大和三部作」の構想を披露されるくらい、本作を通して様々な発見が大和市の中にあって、特に今興味をお持ちなのが、大和市の多国籍コミュニティだということで、それをどうやって作品にされるんですか?

宮崎監督:
『大和(カリフォルニア)』の制作過程で、大和市が国家としての日本の象徴になっている、この何もない大和こそがこれからの未来の日本を恐らく表象していると気づきました。そして、面白いことに僕ってアイデンティティがないというか、自分がナニ人かいまいちわからないんですね。アメリカに住んでいたこともあれば色々な地域で育ったので、サウダーヂがないですし。パスポートは日本人だけど、だから何なんだろうみたいな、ふわふわとした感じで生きてきました。それが、この映画のリサーチや制作を通じて、そういったあいまいな疑問を真面目に考えるようになったのです。どうやら我々はいい加減この問題に直面しなきゃいけない世代でもあるし、そういう時期に来ているんだというポスト3・11の時勢の中で、昨今アジアの友人が劇的に増えたこともあって、より思想は深まっていきました。この映画のサクラの引き裂かれって、アメリカ対日本に見えると思うんですけど、西洋対東洋の引き裂かれも含意しているんですね。ちょっと前までは日本もこれからは中国側なのか、アメリカ側なのかっていう議論があったと思うんですけど、今って中国どころかアメリカの話にもならないですよね。「日本は日本である。それだけで素晴らしい。もっとも歴史ある単一民族国家として国際的に敬われている」みたいな、自閉的な安心感を覚えていて。しかし、実際は国際化から取り残され何十年も経過し、経済は絶望的で高齢化と人口減で外国の方の受け入れは急務であり、一時移住者である観光客だけは急激に増加している。だからまずは反動的で保守的な思想から抜け出して、西洋と東洋の境目として生きることについていま一度考えなければならない。

僕は毎回作品を撮り終えると、この映画は自分にとって何だったんだろう?どういうことを示唆しているんだろう?と分析します。そして、それに対する答えみたいなのを毎回次の作品で提示しようとしていています。『大和』を撮り終わって考えた時に、このアジアと日本、アジアとアメリカというテーマをもう少し広げて考えたらどうだろうかと思いながら、大和市について考えていたら、そうだ、(多国籍団地で有名な)いちょう団地あるじゃん、というとこに気づきました。いつも何気なく通るんですけど、20カ国以上の人が今住んでいて、ものすごく多言語で「ゴミ捨て禁止」という看板だけでも幾つもの言語があります。物語はその団地周辺に住むカンボジア人家族とフィリピン人家族、中国人家族、そして日本人家族の群像劇でして、脚本はもう出来ているのですが、もう少しリサーチしてから撮りたいです。この作品はイメージ的には「大和(カリフォルニア)2」ですね。
相模のど真ん中には暗い中心としての厚木基地があって、皇居を中心とした東京と、東京の周縁としての相模と考えると、例えばその歪みがやまゆり[津久井やまゆり園事件]だったり、座間[連続殺人事件]だったりなんじゃないかという仮説を立てているんです。やまゆりで座間、相模を東へ進むと川崎があって、ヘイトデモ、磯部さんの書かれたサウスサイドがあったりとか。その途中に大和があるんですけど、その辺を横断的に、東京の周縁でこんなに奇妙なことが起こっているのは何だろうみたいなのを、やりたいと考えています。

もう相模シリーズは五部作とかになるかもしれません。『大和(カリフォルニア)』は自分的には1です。新作の『TOURISM』は1.5ぐらいです。番外編。でも『TOURISM』も一応『大和』の続編、答えにはなっています。イメージで言うとサクラとレイが東南アジアに旅に行ってみた、みたいな。「大和サーガ」、かっこいいじゃないですか。「ヨクナパトーファ・サーガ」がフォークナー[ウィリアム・フォークナー(1897-1962)、20世紀アメリカ文学]にありますもんね。


アジアの作家が相互の国で公開できるような循環を




ーインターナショナルなネットワークについてもお聞きしたいです。ベルリン映画祭「タレンツ」へは2014年に参加されていて。どうして行ってみようと思われたんですか?

宮崎監督:
一本目の映画を撮った後に、ちょっと大きめの映画の話があって、その準備をずっとやっていたんですけど、インの一週間前に中止になりまして、いろいろとやさぐれまして。「映画なんて夢も希望も何にもない」って思いつつ、「それでも何故かまだ映画やりたいな」って思っていた矢先にベルリンのうんぬんがあるっていう話を聞いて。普通、フィルメックスの[タレンツ・トーキョー]に行ってから行かないと、無理って言われたんですけど。無理もヘチマも藁にもすがる、蜘蛛の糸を探している状態だったんで、受験用にマイルス・デイビスとか、ドストエフスキーの論文を一晩で書いたんですよ、ほろ酔いで。で、クリスマスに新宿で飲んですごい泥酔して帰って、なんとなく迷惑メールフォルダーを見たら、そこに合格通知が入っていて驚きました。大陸ごとにグループ分けみたいのがありまして、基本的にそんなに相互交流がないのでずっとアジアの方々と過ごしました。そこでいい年こいて、初めて骨身に沁みて、「ああ俺はアジアの黄色いサルなんだ」と思いました。やっぱり日本人の自己定義ってより西洋寄りだと思うんですよ、一般的に。自分も一般の方よりはややアジア寄りに定義していたはずだったのですが、やはりそう思いました。そして、ああ、白人は俺らを憐れんでる、憐憫と呵責で評価しているのであって、芸術作品自体はどうでもいいのだなと感じました。他にも性差や制作国、配給会社などに基づく評価が第一にあって、作品自体は二の次三の次。徹底的にここまで切られちゃうんだっていうのはちょっと衝撃的で。とはいえ、自分も母国同様弱っていたし、これからの時代はアジアと何かやる方が明らかに未来的だなと思い、そこからアジアの方々との差しの交流が始まりました。

ーそれが日本を含めたタイ、シンガポール、中国との共同製作オムニバス映画『5TO9』につながったんですか?今まで例えばアジアの中の二国間の共同製作であったり、日本が製作で東南アジアが舞台のオムニバス(『同じ星の下、それぞれの夜』、『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』)などがありました。『5TO9』の興味深いところは、東南アジアのフィルムメーカーのオムニバス(「Letters from the South」、『フラグメント』)のような、そこに日本が入ってくる、しかもインディペンデントからというのはすごい画期的、新しいのかなと思ったんです。

宮崎監督:
日本映画の世界におけるイメージはいまだに高嶺の花で、すごくお金があって、栄えていて、内需で潤っていて、インディーズ映画も好きなように撮れるでしょっていうイメージなんですよね。恐らく日本の30年前の経済的なイメージから影響されているのでしょう。だから、そんなことはなくて、日本のインディーズ映画は本当にひどい状態で、予算で言うと、インドネシアとかよりも下だし、はびこっているのは若者のやりがいの搾取・奴隷労働、コンテスト主導の映画祭ゴロ、性差別主義者による女流監督女衒産業なんだよ、でも一方で才能のある若い作家は沢山いるので、彼らこそを本当にアジアのアート映画の一角に招き入れてやってくれというロビー活動をやっています。

ーそれがインパクトとして今も続いていて、シネマ・ロサの企画にもつながっているんですか?

宮崎監督:
はい。シネマ・ロサは最初に僕の作品に興味を持って頂いて、その流れの中で僕から前述したようなことをプレゼンして、日本のインディーズってだけだと裾野が狭くなっちゃうから、ロサが東南アジアの作家だったり、東アジアの作家の交換の場になれるとより面白いんじゃないかと。やっぱり日本のインディーズは本当にもうお客さんも少ないですし、作家もコンビニバイトして命削って趣味的に制作するしかないんです。しかし、例えば、自分の映画を中国やタイでも公開出来る、あるいは中国やタイの作家が自分の作品をロサで公開できるみたいな循環が起きればいい刺激になると思うし、相互の観客の教育にもなる、そして映画というものに、より広がりが持たせられるんじゃないかって思ったんです。香港であったり、シンガポールであったり、インドネシアであったり、そういうところにもいろいろとこの交換の輪を広げて行きたいというプレゼンをしたら、それはいいねってことで乗ってくださって。初夏ぐらいから『5TO9』を皮切りに、色々出来ればいいなと思っています。

ーすごい楽しみだなって。東南アジアの映画が上映される機会が増えるのが嬉しいんです、やっぱり。

宮崎監督:
アジアを融合させて、自分でつくった作品を彼らにお披露目し、循環を作りたいですね。今更ながら僕は映画というものが好きだし、映画にいろんなものを与えてもらっているんで、それに恩返ししたいっていう気持ちですね。あとは若い人たちに「映画って人生変えられちゃうんだよ」「こんなに素晴らしいものに触れないでおかない手はないよ」っていう老婆心なんですけど。だからアジアの映画を紹介するのもそうですし、アジアに限らないですけど、定期的にそういう活動をやっていけたらと思っています。

5月19日から「シネマ・レガシー」っていう自分が選んだ、ここ10年で面白かったが正当な評価を得ていない日本の自主映画をかける企画をやるんです。僕が本当に面白いと思うけれどそんなに知られていない映画と、アメリカの映画祭で評価される映画と、ぴあから評価されてベルリンでかかる映画と、日本のシネフィル系が好きな映画などなど多分全部違う島にあって、それをうまいこと、総力を合わせられないかな、なんていうことを思い描いております。

ー今年3月に大阪アジアン映画祭でワールドプレミアされた最新作『TOURISM』は、『大和(カリフォルニア)』に引き続き、遠藤新菜さんと今年1月に公開の『サラバ静寂』でスクリーンデビューして、今注目の新人女優のSUMIREさんを迎えて撮られたそうですね。こちらは大和市のシェアハウスに暮らす女性二人が主人公。シンガポール国際映画祭とシンガポールの美術館「アート・サイエンス・ミュージアム」による共同プロジェクトとして製作され、去年の秋に宮崎監督初の展示会「Specters and Tourists」の一部としてアート・サイエンス・ミュージアムで展示されたということですが、初めてのインスタレーション展示は作家としてどんな新しい体験でしたか?

宮崎監督:
さっきの話と少し似ていて、「映画とはこういうもので、僕は映画監督なるものです」ということに窮屈さを感じていた時期にこういうお話をいただきました。もともと音楽もやっていましたし、美術も大好きだし、美術に限らず、ファッションも写真もアートが何でも好きで映画に来たっていうのがあったんで、何であれ表現のお話があれば、積極的にやって行こうと思いまして。背骨は映画監督ではあるんですけど、何でも面白そうなもので、極端に言うと、残るものであれば、やれる範囲では自分は全てやりたいっていうスタンスにここ数年なってきましたね。
(インスタレーション中に宮崎監督演出によるライブを披露し、『TOURISM』のサントラも手掛けているバンド)THE AREに関しては、僕も一緒に演奏しろ、みたいなことを最初に言われたんですけど、いやいや、今更人前で演奏は結構ですとお断りしました(笑)それで、指揮者というか全体の演出の設計みたいなことを考えて、面白かったですね。一晩だけ、超満員のお客さんの周りにステージをセットして、彼らがバンドに囲まれるという設定で3面か4面の大きなモニターに僕の過去作とかが映写されながら演奏が進みました。SFオペラみたいな、一回きりでつかめない、すぐに消えてしまうもの。今までお蔵入りさせていた作品をその時だけやったりして。後日観客の一人が「あの日で人生が変わった」と連絡してきてくれてちょっと嬉しい衝撃を受けました。

ーシンガポールのインスティテュート、アーティストとコラボすることの面白さ、それは立地的にも、経済的にも東南アジアのハブとしてリソースが集まるシンガポールだからこその磁場ということが大きいと思います。シンガポールの持っている可能性について、監督として、アーティストとして、日本人としてどのように見ていますか?

宮崎監督:
政府が今まで検閲に厳しかったらしいんですけど、今年ぐらいからシンガポールの目玉として、スケボーだったり、映画だったり、音楽だったり、ユースカルチャーを打ち出す、という公式発表があったらしくて。文化で国のアイデンティティをつくっていこうという動きがここ数年すごくあって。僕が十何年前に行った時は、本当に無味無臭なイメージだったんですけど、ここ数年、美術館がバーンってできて、常に何かしら面白い企画上映だったり、音楽ライブをやっていて、いろんな美術館やイベント関係者が、今週はこういう上映会があるから来てよ来てよとかなり活発で。ハブとしての話をすれば、シンガポール・フィルム・アーカイブの人が言っていたのは、シンガポールでというよりも、アジア全体として、我々は文化、歴史を吸収して、集めて、それを集積していく場になりたいみたいなことを言われたので、その雰囲気は確かにすごく感じますね。

アーカイブといえば、僕が嬉しいなと思ったのは、日本のアート映画とかを、日本のフィルムセンターではアーカイブできないなら、シンガポールでやりましょう、というのを今始めているんですよ。彼らは本来は東南アジアがメインのはずなんですが、日本のアート映画、自主映画は面白いから。文化集積地としてちゃんと制度も作っていて、政府から助成も出ている。そういうポリシーに基づいて、今回の展示会もあったと思います。日本でフリーターの自主映画監督なんて、扱いがひどいですけど、すごくリスペクトしてくれるし、そういう保護下での創造は賛否あるでしょうが、生活が出来てアートもやれれば言うことはないので、ありがたいですね。シンガポール国際映画祭もそんな感じで、小さくはあるんですけど、みんなすごく親身になって創作について考えてくれるし、つないでくれるし、だから、毎回いろんな監督がアジアから来る。小さいからこそ、一対一で広いアジアのいろいろな国での制作体験を持ち寄ってみんなと話せて、素晴らしいんですよ。すごいリラックスした空気の中で。フェスティバル・ディレクターのユニ・ハディからは飲み会の盛り上げ役でレギュラー参加しろと言われ困っています。

ーいいですね。そのユースカルチャーにこの『TOURISM』は世代感も撮影手法もすごい合う感じなんですか?

宮崎監督:
モロにです。『大和』を観て、若干そういうイメージを抱いて頂いたんですけど、撮影手法でいっても今回はiPhoneなどの携帯デバイスで多くのシーンを撮っていますし、ファッションなども最新のモードを取り入れました。アジアでもクールなことをやってるやつがいるんだなと思っていただければ幸いです。

ー今後の展開は?

宮崎監督:
『TOURISM』はできれば年内に公開したいぐらいです。『大和』が一息ついたら、すぐやりたいですね。今のところ妙に評判が良くて、複雑な気分です。というのも、いつも僕の作品ははっきりと賛否両論なのと、『大和』の方が魂を削って時間をかけていたから。とはいえ、『TOURISM』は違う魂の使い方なんですよ。「俺たちは、『大和』みたいな重いのが観たい」っていう方と、「これくらいファニーでファンシーでいいよ。いつも重いんだよ、宮崎は」っていう派閥に分かれていまして。『TOURISM』はお年寄りもお子様も十分に楽しめるコミカルな内容です。『大和』も本来そうなんですが…。まあ色んな世代、お客様を取り込んで、どうにか創作を続けたいですね、毎回違うジャンルで。次は何が見たいですか?



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フェンスがそこに立ち塞がる この町でわたしはわたしの歌を歌う
わたしの声 わたしのことばをここで手にする
ここにわたしを自由に解き放つ

宮崎監督へのインタビューを終えて、高橋先生のフルネームをインターネットで検索すると、「高橋世織」先生。奇しくも、当時大学1年生の私は東京外国語大学で「20世紀表象文化の世界」というリレー講義を受けていた。当時、同級生が映画会社のインターンをしようとも、映画の道を自らの進む道として私自身は考えていなかったが、そのリレー講義で出会ったものが今もなお自分にとって大切な拠り所となっている。ノートをふり返ると、非常勤講師として高橋先生はリュミエール兄弟から小津安二郎、ヴィム・ベンダース、北野武に触れながら、映像が表象する日本と世界の文化について講義をされていた。
その後、面白い人生のクロッシングとして、私自身、大学のゼミで東京近郊、神奈川県の在日カンボジア人コミュニティにインタビューをさせていただいたことを経て、フィルムメーカーへインタビューするという現在に至っていて、「大和サーガ」で宮崎監督が日本で暮らすカンボジア人をどのように描かれるのか、『大和(カリフォルニア)』がカンボジア国際映画祭でも今年3月上映されたこともあり、今後の展開へ大きな期待を募らせている。





『大和(カリフォルニア)』

韓英恵 遠藤新菜
片岡礼子 内村遥
西地修哉  加藤真弓 指出瑞貴  山田帆風  田中里奈
塩野谷正幸 GEZAN 宍戸幸司(割礼) NORIKIYO

監督・脚本:宮崎大祐
音楽:Cherry Brown GEZAN 宍戸幸司(割礼)NORIKIYO のっぽのグーニー
撮影:芦澤明子(J.S.C.) 照明:小林誠 美術:高嶋悠 編集:平田竜馬 音響:黄永昌 
サウンド・デザイン:森永泰弘 スタイリスト:碓井章訓 ヘアメイク:宮村勇気 
助監督:堀江貴大 制作主任:湯澤靖典 カラリスト:広瀬亮一
プロデューサー:伊達浩太朗 宮崎大祐 キャスティング:細川久美子
製作:DEEP END PICTURES INC. 配給:boid
協賛:さがみの国 大和フィルムコミッション

©DEEP END PICTURES INC.
2016/日本・アメリカ/カラー/119分/アメリカン・ビスタ/5.1ch

公式ウェブサイト:www.yamato-california.com

2018年5月26日(土)〜6月1日(金)池袋シネマ・ロサにて一週間限定で再上映!!




■「シネマ・レガシー 01」
監督 宮崎大祐セレクション


5月19日(土) 安川有果監督『Dressing Up』『永遠の少女』
5月20日(日) 田中里奈監督『湖底の蛇』『大和月夜』
       田中羊一監督『ピンパン』『ライセンス(ディレクターズカット版)』
5月21日(月) 小出 豊監督 『こんなに暗い夜』『葉子の結婚 月曜日』
5月22日(火) 大江崇允監督『適切な距離』
5月23日(水) 吉開菜央監督『ほったまるびより』
             『ホワイトレオターズによる上映前ストレッチ』
             『みづくろい』『自転車乗りの少女』*さらに2017年制作の新作3本を特別上映
5月24日(木) 宮本杜朗監督『太秦ヤコペッティ』
5月25日(金) 松村浩之監督『TOCHKA』

公式ウェブサイト:http://cinemalegacy.wixsite.com/cinemalegacy01

5月19日(土)~5月25日(金)池袋シネマ・ロサにてレイトショー



■『5TO9 ファイブトゥナイン』

出演:永瀬正敏、大西信満、コリン・ドイル、地曵豪、高橋マリ子、ほか
監督:宮崎大祐、テイ・ビーピン、ヴィンセント・ドゥ、ラシゲット・ソッカーン
2015年/シンガポール・日本・中国・タイ/80分/DCP 配給:boid

上映情報:http://www.cinemarosa.net/5to9.htm

6月9日(土)より池袋シネマ・ロサほか全国順次ロードショー



■『5TO9』公開記念 宮崎大祐監督特集『THEY LIVE BY NIGHT』

劇場デビュー作『夜が終わる場所』
初期制作短編『MARIA!MARIA!』『Love Will Tear Us Apart』(劇場初上映)
脚本担当作品『孤独な惑星』、『ひかりをあててしぼる』など

6月2日(土)~6月8日(金)池袋シネマ・ロサにてレイトショー



宮崎大祐 監督・脚本
1980年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2007年に黒沢清監督作品『トウキョウソナタ』に助監督として参加して以来、フリーの助監督として活動。2011年、初の長編作品『夜が終わる場所』を監督。サンパウロ国際映画祭、トランシルバニア国際映画祭など世界中の国際映画祭に出品され、トロント新世代映画祭では特別賞を受賞した。翌年2012年に渋谷ユーロスペースで行われた国内初公開ではのべ三週にわたり、個人での宣伝配給作品としては異例の記録的動員を達成。公開中は連日、アート・ジャンルを横断するイベントを行い、「映画館」という場所の従来のイメージを更新するまったく新しい興行スタイルを提示し大きな話題となった。2013年にはイギリス・レインダンス国際映画祭が選定した「今注目すべき日本のインディペンデント映画監督七人」にも選ばれ、2014年には日本人監督としては実に四年ぶりにベルリン国際映画祭のタレント部門に招待された。その年に参加したアジア四ヶ国によるオムニバス映画『5TO9』は、中華圏のアカデミー賞こと台北金馬国際影展など多数の国際映画祭に出品され、2018年夏より全国公開。長編第二作『大和(カリフォルニア)』はタリン・ブラックナイト映画祭を始め幾つもの国際映画祭で上映され、New York TimesやVariety、Hollywood Reporterなどの海外有力メディアでも称賛された。同作は2018年春より待望の全国公開を迎え、大きな話題となっている。最新作はシンガポール国際映画祭とシンガポール・アートサイエンスミュージアムの共同企画である『TOURISM』。なお脚本家としても活動しており、代表作には筒井武文監督作品『孤独な惑星』(’10)などがある。



『大和(カリフォルニア)』©DEEP END PICTURES INC.

POSTED BY
Junko HONMA
Junko HONMA / Movie Journalist
「クリエイターとのダイアローグからそのさきへ。そんな“場”をつくっていけたら。」
2012年より映画の上映会や配信の運営、PR、TVドキュメンタリーの制作の現場を経て、“ことばで伝える”ことに立ち返り、表現を取り巻く状況が大きく変わりゆく時代の中で国内外で“領域”を越えて、新たな取り組みに挑戦しつづけるクリエイターのいまをお伝えします。本サイト「theatre tokyo/ creators park スペシャルインタビュー」ほか、ウェブマガジン『HYPEBEAST.JP』ではライフスタイル、カルチャーの翻訳を担当中。大阪の制作、エキストラで初参加させていただいた、リム・カーワイ監督作品『Fly Me to Minami~恋するミナミ~』DVD/iTunes配信も絶賛発売中!!